粘菌(厳密には変形菌=真正粘菌という分類)という、動物と植物の両方の性質を持つ特殊な生命体をご存知でしょうか。
簡単に説明をすると、まず「変形体」という状態の言わば「動物モード」があります。この状態ではアメーバのようにあちこち動き回り、エサを食べます。飼育する際は主にオートミールが用いられますが、好き嫌いはあるもののわりと色々なものを食べる雑食です。
写真は最もポピュラーなモジホコリの変形体です。いくつか餌を与えたところ、炊く前の雑穀米とチョコクリスピーは嫌いであることが分かりました。捕食すると言っても、覆い被さって溶かしていくような感じです。餌がなくなるとキッチンペーパーも食べてボロボロにしてしまいます。
アメーバにはオスとメスだけでなく無数の性別が存在しているそうで、他のアメーバと融合し大きく育っていきます。そうして大きくなった変形体は、目視で充分に確認できるサイズ感となります。梅雨時期には多くの種類が活発になるため、山や森の近くへ出かけるときには粘菌がいそうなところをつい探してしまいます(笑)。枯れ木や枯れ枝などがあって湿った場所でよく見つかります。
ある時、環境が悪くなって命の危機を感じると変形体は移動して集合体となり、適当な場所で「子実体」というキノコ状態へ変異します。これが「植物モード」で、キノコのように胞子を飛ばして繁殖します。この子実体には多種多様な形があって、肉眼でも見えますが、ルーペで拡大してみるととても美しいのです。その虜になってしまいました。
写真は20倍のルーペで拡大したジクホコリという種類で、光が当たると虹色に輝きます。
飛ばした胞子から発芽し、そこから生まれてくるのは「動物モード」のアメーバなのです。そしてまた、増殖したアメーバは融合し成育していきます。このように動物の性質と植物の性質を行ったり来たりするわけです。
こうした循環を続け、生命が誕生の頃から今もなおあちこちに生息している生きた化石でもあります。現在、世界中に1,500以上もの種類が確認されていますが、その不思議な生態は未だ解明されてはおらず、非常に神秘的かつ魅力的であり、愛好者がいらっしゃいます。
粘菌の魅力はそれだけではありません。有名なおもしろい実験がされているので紹介しましょう。ゴールに粘菌の餌が置いてある迷路を用意し、入り口に変形体を放ち、その様子を観察します。すると、変形体は一度は全体に広がるのですが、やがてチューブ状になり、スタートとゴールを最短距離で繋ぎ、栄養分を送り合うのです。目や鼻はもちろん、神経や脳細胞などを持たない粘菌が、見事に最短ルートを導き出し、ゴールへ到達してしまうため「脳を持たない天才」だと称されている所以です。
バラバラに点在するアメーバは、融合する事で記憶も共有できるように見えます。スーパーコンピュータのような知能、あるいは動物的直観、意思を持っているとしか思えません。他にも未知なる力を持っている可能性も充分に考えられるでしょう。知の巨人と称される南方熊楠は、この粘菌に魅せられ、晩年はひたすら熊野の森で採集と観察を繰り返していました。真理を究明するための一つの鍵のようにも思えてきます。
ここで、この粘菌を彷彿させる、SFの宇宙人を紹介したい(笑)。イギリスのSF作家であるアーサー・チャールズ・クラーク。数ある小説のうち『太陽系最後の日』という短編物語の中で、「パラドー人」という宇宙人が登場します。詳しくは小説を読んでいただきたいのですが、その性質に注目したい。
該当の箇所を下記に抜粋します。
危機に際して、パラドー人の精神を構成する個々の単位は凍結し、いかなる物理的頭脳にも遜色のない緊密な組織となることができる。
そのような時、彼らは宇宙で類を見ないほど強力な知性を形成する。
あらゆる知的種族は最終的に個々の意識を犠牲にしいつの日か、大宇宙には集合精神しか残らないだろう『太陽系最後の日』アーサー・C・クラーク
動植物や人類も含めた、生命が最終的にどこへ到達するのかを予期しているかのような文章ですね。全ての人を輪廻から救済するという阿弥陀仏の世界観にも通じるところがあります。
「危機に際して」という文句に関しては、粘菌の性質そのものだと言えます。「緊密な組織」を子実体と見れば粘菌そのものでありましょう。さらに、物語の中では離れたところにいるパラドー人同士で記憶を共有するような場面が描かれており、そんな性質もまさに粘菌そのものです。
クラーク(1917/12/16-2008/3/19)はイギリス出身のSF作家であり、科学解説者という顔も併せ持っていました。そして、「宇宙にはパラドー人のような地球外生命が存在する」と言い残しています。宇宙ではなく地球に存在する粘菌はまさにパラドー人ではないか、と伝えたい!
一方、熊楠(1987/5/18-1941/12/29)は、博物学者であり、生物学者、民俗学者でもあり、仏教にも精通し、幅広い分野を鋭く深く研究していました。密教において真理を表した曼陀羅を、熊楠は独自の世界観によって見事に解説し、南方曼陀羅と呼ばれるオリジナルの曼陀羅も残しています。
粘菌とパラドー人、両方に共通する性質に、全く違った観点から近づいていた2人。どちらもイギリスで活躍していたことを思うと感慨深いものがあります。偉大な先人たちが惚れ込んだ存在、その英知を手掛かりに、また新たな発見を重ねていきたいものです。
これまでに多数発見し、採取して標本にしているものがあるのでいくつかご紹介します。
ジクホコリ
エダナシツノホコリ
ヒメカタホコリ
ツノホコリ
ススホコリ
剪定クズの中から見つけたジクホコリに関しては、採取して顕微鏡で観察してみました。
子実体を壊さないように注意して、プレパラートに取り出します。1mmにも満たないサイズなので、ピンセットで触れると静電気でくっつくように取れ、慎重に移しました。250倍のズームで子実体を観察すると、頭の部分が非常に繊細な細胞のつながりで結成されていることがわかります。
白いジクの部分を「柄(え)」といい、変形体から胞子になる際に分泌した老廃物や粘液物質などからなっています。色鮮やかな部分は「子嚢(しのう)」と言い、子嚢壁と呼ばれる膜に覆われた内部には、胞子の他に「細毛体」という糸状の構造体や石灰が入っているそうです。
変形体は一晩かけて子実体を形成しますが、自然の粘菌が子実体を形成するところを観察するのはなかなか困難。また子実体に比べて、変形体を見つけるのは難しいのですが、採取した子実体から飛び出た胞子から発芽したアメーバが成長し、タッパーの中で変形体を培養できたことがあります。
また、子実体の他に「菌核」というモードがあり、やはり環境が悪化すると生命維持のために、変形体が収束し、一塊になってカチコチになります。この状態は、おそらく何年も保存が効く状態です。試しに2年ほど保管していた菌核を湿ったキッチンペーパーの上に置くと、数日で変形体が現れて活動を再開しました。命そのものを感じます。