達するの「達(タツ)」というテーマで今年を締めくくり、来年の辰(タツ)年へうまいこと繋げられたら良いなと思っております。
1.宗教の対立
いつも疑問に思うことがあります。個人の幸せや平和を願うはずの宗教が争いや戦争を引き起こし、一つであるはずの真理が幾多にも語られるのはなぜか?
人は言葉によって伝えることができますが、言葉によって理解の違いや語弊が生じるのも事実。
かつて釈迦が達した悟りは無上覚という境地。以降そこに到達するものはいないとされながらも、悟りについては常に論ぜられてきました。
けれど、釈迦本人の口から語られることのなかった「悟りとは何か?」を、ああでもないこうでもないと議論することに何の意味があるのか? 達することができないのなら、そこへ向かおうとすることは果たして正しい修行なのでしょうか?
「悟り」が何かということは本来どうでも良くて、そもそも釈迦は心の医者として、悩み苦しむ人々の「変えられない現状」をどうにかするのではなく、心の持ち方を変えることによって苦しみから解放するために説法をし、長い布教の旅をして歩いたのです。現代にも根深く残るカースト制度そのものを変えるのではなく、心を解放することを願い実践したわけです。
大切なのは、よくわからない「悟り」へ至ることではなく、各々の心が晴れること。ところが、優れた哲学的思考を持つインドや中国の先人達は釈迦を神格化し、経典を複雑化したうえ、心の快晴で充分なはずの目的地を、常人が一筋縄では到達できない遥か遠くへと押しやりました。
本来、伝達を目的とするのであれば分かりやすい言葉でないと意味がありません。専門用語を多用し、独自の造語をふんだんに生み出す目的はいったい何か?
境界線をしくためと考えるのが妥当ですよね。すなわち、専門家でないと分からない領域を担保し、一般人が立ち入れない結界を張って優位を確立するためです。
これは仏教に限らず、キリスト教やイスラム教などの現在代表される宗教にも同じことが言えます。哲学や学問の領域も同じこと。経済においても独自の横文字が飛び交ってややこしいことこの上ない。サステナブル・ディベロップメント・ゴールズと聞いて瞬時に意味を判断できますか?笑 元の英語をカタカナに変換し、またそれを「持続可能な開発目標」などと分かりにくい日本語で捉え直して……といった回り道をしている間に、置いてけぼりを喰らっているのは私たち日本人でしょう。
また、宗教には守らなければならない戒律があったりと、独自の規則がつきものです。ところが、そういったものは最初は純粋な信仰心から生まれたものかもしれませんが、信者を囲い込むための策略と化し、その教団を発展させる利益になることはあっても個人の幸福のためではないことがほとんど。
無論、自制のきかない自堕落な生活は幸福を遠ざけますから、節制し自律することの大切さやルールを守る必要性を説くのは素晴らしいと思います。ただ、それが飛躍して教団や幹部の利益のために利用されていることは否めません。
人々が幸せに生きるために活用すべき知恵を、専門家ですら手を焼くほど難解なものにして一般人から遠ざけているのは、いつの時代も教祖や開祖ではありません。その教祖や開祖を神格化して宗教ビジネスとして利用してきた人間の仕業です。
誰にでも理解できるように対機説法という方法を用い、一人一人に合わせた分かりやすい例え話や平易な言葉で得心させていたのが釈迦であり、仏教の教祖です。キリストもマホメットも、あるいはソクラテスやプラトンも、老子や孔子であろうと、難しいことを伝え残したのではなくて、一般庶民が理解できる内容を説いてきたはずです。しかし、時代が下るにつれて解釈が無数に分かれて錯綜し、難解なパズルへと化してしまいました。
2.拡散と収束を繰り返す生命
私たちが生きている世界では、複雑化し拡散していく力と、単純な方へ向かって収束しようとする力が常にせめぎ合っているように感じられます。拡散と収束が絶えず繰り返され、時には同時に起こっています。単細胞生物から複雑な生命へと進化したり、人類が各地へ広がったり、あるいは複雑に発展した文明が滅びて単純化したり、挙げるとキリがありませんが、生命の流れはそういった性質を持っていると言えます。
粘菌の生態を観察していると、生命そのものの流れを写し出しているように思えてなりません。拡散と収束を繰り返し、双方向に流動し、大きく成長していくのです。
枝分かれを繰り返して複雑化した宗教に、同時に元へ帰結しようとする力も備わっているとすれば、広がり切って収拾がつかなくなり飽和状態にある今、これからは原点回帰の力が強まると考えられます。もちろん、過去に何度も原点へ帰ろうとした指導者は現れましたし、そういった力は実際に働いていました。その流れが今はもっと強まっている。つまり、どの宗派が正しいのか、どの宗教が真理を捉えているのかという争いのフェーズは終わりを迎え、折り返して原点に還ろうとする動きへと変化していくということです。
大元の一つに帰結した宗教は、まさしく宗(おおもと)の教え。どんな言葉でも良い、どんな表現でも良い、細かな枝葉の違いは全て受容し、あらゆる人が容易に理解でき、どのような人にとっても正しい努力によって達せられる救いでなければならないのです。そして宗教という言葉に収まっていてはならず、宗教や哲学を包括し超越した、誰もが持つ感性によって達することのできる「本当の幸せ」に目覚める必要があり、一人一人が「本当の真理」を捉えていくことが求められるようになるはずです。
だって、何の変哲もないただの一般庶民のはしくれである僕でさえ、気づき目を覚まし始めたんですから(笑)。
3.日本人の感性
言葉を超えた真理、本当の幸せを感性で会得することを得意とするのは、まぎれもなく日本人であります。
クリスマスにはケーキを食べてサンタクロースからプレゼントをもらい、大晦日は除夜の鐘を数え、元旦には神社へ初詣に行く。節分として旧暦を新暦の中に取り入れ、エイプリルフールには嘘をつき、お盆は先祖を迎え、教会で結婚式を挙げ、寺で葬式をする。もはやカオス(笑)。
軸がない、無宗教で曖昧だと言われる日本人。
本当にそうでしょうか。
どの宗教にも属さないことは無宗教なのでしょうか。
どんな宗教をも包み込める、言葉を超えた先にある本当の真理を感得できるからこそ、形骸化した宗教を必要とせず、ただ謙虚に自然を崇敬してこれたのではないでしょうか。
真の宗教、信仰心が日本人にはもともと備わっているのではないでしょうか。
ちなみにここで言う日本人とは、日本に国籍を持つ人のことでも、日本人の血を引く人のことでもありません。日本列島に住む民族には、もはや血で区別することなどできないほど多種多様な種族が混じり合っています。純潔ではないゆえに、それだけ多くの思想や文化を受け入れられるのではないでしょうか。しかし「何でもござれ」ではただの雑多。失われつつあった純粋な信仰心を揺るがない軸として据え直し、一本の志を立てたところに全てを受け入れる器を持ってすれば、世界が本当の幸せへと向かう雛形となり得るはずなのです。
このような全てを包み込む包容力を持った、「和の情」を精神に宿した人をこそ日本人と言うのです。人種や国籍、使う言葉は関係ありません。日本語を使うから日本人だということではないのです。
中国で、孔子によって生まれた儒教。人の生きる道を流麗な漢文で表された論語は、日本でも江戸時代には寺子屋などで素読を通して教育に活かされていました。ほんの一昔前はみんな暗唱していたのです。今は一般的と言うほどではないにせよ、経営者や知識人など、自己研鑽に励む人にとっては大いに親しまれています。
本場中国ではその論語の実践が難しく、なかなか出来ないからこそしっかりと勉強し、常に掲げておくのだといった考えがあるそうです。実際に中国へ行くと、あちこちにスローガンのように論語のみならず古典の漢文が掲示されていたり、漢詩のプレートや石碑などが見受けられます。
対して日本人は、論語を理解するだけでなくしっかりと実践出来ている。だから中国の人々から尊敬されていたという話を聞いたことがあります。嘘か本当か分かりませんが、その話を聞いたとき思ったのです。論語の実践に成功したのではなく、論語を知る前からすでに当たり前のようにあった感性で正しく生活をしていたのだと。そこへ言葉で表された論語が日本へとやってきて、外から見ればあたかも論語を実践しているように見えていたのではないかと思うのです。
明治から昭和にかけて活躍した仏教学の権威である鈴木大拙は、日本で広まった禅に対して次のようなことを言っていました。
禅が日本的霊性を表栓しているというのは、禅が日本人の生活の中に根深く喰い込んでいるという意味ではない。それよりもむしろ日本人の生活そのものが禅的であると言った方がよい。
鈴木大拙『日本的霊性』
論語にしても、これと同じではないでしょうか。つまり、日本人の心は表層の宗教ではなく、言葉で言い表せない純然たる「真理」を感性で理解している。それを大拙は日本的霊性と呼び、そんな日本人の心を僕は「和の情」と表しているというわけです。
日本人は曖昧で宗教がなく、何でも受け入れてしまう雑多な人種なのかもしれない。しかし同時に、すべてを許容する大きな器を持ち、言葉や形に表せない本当の真理を捉える最も深い感性を素地として持っているのです。これこそ日本人の誇りではありませんか。
4.言葉にならない真理
言葉によって理解し、言葉の奥の院「言葉にならない真理」を体得するというのは、円や三角形などの数学上の概念を、紙に鉛筆で描いた図形で理解することに似ています。
紙にペンで描いた円を見て、「なるほどコレが円か」と誰もが納得できますよね。ただし本当の真円というのは、そもそも描くことが出来ません。
コンパスで丁寧に描いたとしても、顕微鏡で見れば紙の上に黒鉛やインクが凸凹と乗っているだけで円とは言えず、機械で印刷された図形にしても所詮ドットの集まり。スマホやパソコンのディスプレイに表示される綺麗な円は四角いピクセルの集まりで実際はギザギザしています。限りなく円に近いものを見ているだけで、私たちは本当の真円を見たことがない。それどころか、この世に真円など存在しないのです。それは直線にしても正方形にしても同じ。みんな数学上の概念であって、物質世界には存在しないもの。それを図や言葉によって理解し、一人一人が真円の概念を認識しています。そうした共通認識のもと、真円を知らない子供に真円の概念を教えていくわけです。
言うなれば、描いた図形や言葉での説明が「宗教」や「言葉で表された真理」。そういった「真理(仮)」は、その奥にある図形の概念「本当の真理」を掴むための道筋です。だからこそ、「悟り」という「本当の真理」は語る必要がないと言うより、語った時点で「真理(仮)」となってしまうため、結局は道筋となる方便「言葉で表された真理」を説くほかないのです。
宗教宗派の違いを指摘しあって論争しているのは、紙に書いた図形を見せ合って「こっちが正しい円だ」「これが本当の正方形だ」などと言い争っているのと何ら変わりません。言い方や描き方、表現の仕方が違うだけで根本は同じ「真理」だということを、実は誰もが薄々感じているんじゃないでしょうか。
簡単な図形に比べると、人間の幸福や悟りといった概念の方が若干複雑なので理解しづらいかもしれませんが、本当の真理とはそういうことです。
5.日本人の死生観
今回は「本当の真理」を感得していたであろう日本人の一人、宮沢賢治に焦点を当てていきたいと思います。
彼は37歳という若さで生涯を終えました。ちょうど90年前の1933年9月21日、まさに今の僕と同じ年齢で亡くなっていたのかと思うと、感慨深いものがあります。
とは言え、その生涯が不幸であったとは感じないし、むしろ幸福であったのではないかと思います。
その理由を説明するより、吉田松陰が処刑される前日に書き残した全十六章からなる『留魂録』を読んでいただくのが良いでしょう。中でも、松陰の死生観が表れている項である「第八章」。その一節を現代語訳でご紹介しますので、そのまま読んで味わっていただきたい。
一、今日、私が死を目前にして、平穏な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環という事を考えたからである。
つまり、農事を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。秋・冬になると農民たちはその年の労働による収穫を喜び、酒をつくり、甘酒をつくって、村々に歓声が満ちあふれるのだ。この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるということを聞いたことがない。
私は三十歳で生を終わろうとしている。いまだ一つも成しとげることがなく、このまま死ぬのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから惜しむべきことなのかもしれない。だが私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのである。
なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事が必ず四季をめぐっていとなまれるようなものではないのだ。しかしながら人間にもそれにふさわしい春夏秋冬があるといえるだろう。十歳にして死ぬ者には、その十歳の中におのずから四季がある。二十歳にはおのずから二十歳の四季が、三十歳にはおのずから三十歳の四季が、五十、百歳にもおのずから四季がある。
十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。百歳をもって長いというのは、霊椿(れいちん)を蝉にしようとするようなことで、いずれも天寿に達することにはならない。
私は三十歳、四季はすでに備わっており、花を咲かせ、実をつけているはずである。それが単なるモミガラなのか、成熟した粟の実であるのかは私の知るところではない。もし同志の諸君の中に、私のささやかな真心を憐れみ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それはまかれた種子が絶えずに、穀物が年々実っていくのと同じで、収穫のあった年に恥じないことになろう。同志よ、このことをよく考えてほしい。
吉田松陰『留魂録』(現代語訳)
処刑されたのは安政6年の10月27日でした。年は違えど同じ10月27日生まれの僕にとって、特に心惹かれる一文であります。単純に日付が同じだからではなく、この文章を読む前から喜怒哀楽といった感情は四季のようなものであり、幸福とはその季節を感じられることであると、春夏秋冬に重ねて似たようなことを考えていたからです。松陰が蒔いた種を実らせるため、その流れの一助となる同志でありたいと願うところです。
また、宮沢賢治は晩年、自給自足的に農業をしながら人々に教え、物語を書く作家活動をして過ごしていました。そういった点については、畑を耕しながらデザイン制作の仕事や講演をしたり、創作活動をしたりする自分の生き方に重なるところがあって、共感できるところが多いと及ばずながら感じています。
若くして亡くなることは不幸なのか?
では何歳まで生きれば幸福なのか?
100歳まで生きれば幸福なのか?
100歳まで生きた人は皆もれなく幸福なのか?
そうでないとしたら、いったい何が幸福なのか?
その答えは、吉田松陰が残した大和魂に、宮沢賢治が残した文学に大いに表れているのです。
6.宮沢賢治の感性
『銀河鉄道の夜』は誰もがきっと一度は読んだことがあるか、少なくともそのタイトルはご存知のはず。言葉にできない領域が表現されている作品であると思っています。
また、宮沢賢治は天文学や鉱物学に精通していたことで知られており、彼の作品にはそういった知識がふんだんに活かされているのも見どころですね。
賢治は法華経を信仰し、日蓮宗の新興宗教「国柱会」に入っていたことから、この作品は仏教思想を説いているとか、登場人物の名前をはじめ、讃美歌、十字架、ハレルヤといったキーワードが散りばめられていることからキリスト教思想に基づいているとか、あるいは東洋だの西洋だのと議論が絶えません。
そうした解釈は本やネット上でもたくさんありますから、興味深くて面白い解説が出てきますので気になる方はご自身で調べてみてください。
しかし、本当に大切なのは仏教かキリスト教、東洋か西洋か、そのどちらかであると断定することではなくて、仏教徒であろうとキリスト教徒であろうと親しめる作品であるということ。あらゆる要素を統合的に盛り込むことで普遍的な広がりを含んでいる。その点に大局の眼をもって注目したい。
そもそも、主人公ジョバンニがイタリア語読みではヨセフであるからキリスト教であるとか、母親へ牛乳を届けるといったテーマがスジャータのミルクを彷彿させるから仏教の悟りのことを表しているとか、本人でないと意図や真実が分からない内容をあれこれ議論しても答えは出ません。前述の「悟り」について語っても仕方がないのと同じで、ジョバンニはジョバンニとして、牛乳は牛乳として、書かれたままを捉えるしかないし、そう受け止めるべきなのです。
作品を通して何を感じるかは人それぞれであって、そこにキリストを感じたのならそれで良し、仏陀を感じたのならそれもまた良し。そうして各々の真実を感じ取れば良い。その奥には言葉では言い表せない、確かな一つの真理がある。どんな形で真円を理解しても構わないと思うのですが、どうしても表象的な議論へと向かってしまいがちです。
また、宮沢賢治の作品のなかでも特に有名な『雨ニモマケズ』は、仏教の「四門出遊」になぞらえていると言われています。
「四門出遊」とは、お釈迦様がまだ王子だった頃の話。
王子であるゴータマ・シッダールタが住んでいるお城には東西南北それぞれに門がありました。あるとき王子は東の門から出て老いる苦しみを知り、次に南の門を出て病気になる苦しみを知り、西の門から出て死の苦しみを知ります。そして、北の門で修行僧と出会い、出家を決意するという生老病死である四苦の元となる物語です。
次に『雨ニモマケズ』を全文、下記に引用しましたのでご覧ください。
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
「四門出遊」を踏まえて読むと、なるほど確かに東南西北に関しては仏教由来なのかもしれませんね。実際には、斎藤宗次郎という人をモデルにしたとも言われており、その解釈も的を得ていると思います。ググってみてください。
『雨ニモマケズ』は作品として発表されたものではなく、手帳に書き留めてあったメモが死後に公開されて作品として知られるようになりました。そのため、一般的には他人へ何かを伝えるためのものではなく、自戒の言葉であったと解釈されています。
しかし、聡明であるだけでなくユーモアに溢れた面白い人であった賢治。うつむいて暗そうに見える写真が、実はベートーヴェンの真似をして撮った写真であると親族の家系の方が語られていました。
そういったことも踏まえて、本当に誰にも見せるつもりがなかったのかどうか疑問が残るところです。遊び心ある人であったなら、病気によって死を覚悟し長くは生きられないと知ったとき、ただ暗くなるのではなくて、どうせなら後世の人に何かを残したり、面白い仕掛けを残そうとするのではないか。無論、想像の域は出られず、詮索すること自体が野暮だと承知のうえで拡大解釈かもしれませんが、遊び心満載の自分の思考だとそんな風になります(笑)。
さらに頭の良い人でしたから、メモが死後に見られることは容易に予測できるでしょうし、世のため人のためという志に徹した賢治であれば、自分のためだけに残したメモだとは到底思えないのです。出版公開される予定がなかったから自分のためなのだと感じさせるところまでが賢治の物語であったとしたら……と考えると鳥肌が立ちますね。ゆえに、『雨ニモマケズ』は、人に読んでもらうために綴ったメモであると僕は考えています。
7.軸と器
以上のように、各々が独自に解釈したり考えを巡らせ、その言葉では表せない真実の領域を自分なりに掴んでいくことが『銀河鉄道の夜』でも語られた「ほんたうのさいはひ」を求める姿勢であり、女の子と男の子を連れた青年に語った「ほんたうのたつた一人の神さま」を感じることになるのではないでしょうか。
僕がそう感じたならそれが答えであって真実なのです。
捉える人それぞれが心に感じることもまた真実です。
わたしはこう感じました、あなたはそう感じたのですか。
お互い素晴らしいものに触れられて何よりですね。
それだけで良いのです。
事実はたった一つしかないが、真実は人の数だけあると『ミステリという勿れ』の整くんが言ってました(笑)。
自分が悟ったと思えば、それなりに悟っているのでしょう。
知らんけど。
事実はこうだ、真実は違うと言って他者を否定するのではなく、自分がどう捉えたのか、どう考えたのか、どう感じたのか。それが軸であります。
そして相手の意見を尊重できるかどうかが器です。
軸がないと雑多で蒙昧、道筋は見えなくなってしまいます。器がなければ対立と争いを生んでしまいます。軸と器を合わせ持つことが、「和の情」であり、「一即多・多即一」の精神、日本人の心を持つということなのです。
軸と器を持ち合わせていた日本人であるからこそ、神道に仏教を融け合わせる神仏習合といった技が為せるのです。しかも、もともとあった神道を上に置くのではなく、謙虚にも仏教を持ち上げたのです。本地垂迹において、大日如来がアマテラスの化身なのではなく、アマテラスが大日如来の化身であり、八幡神が阿弥陀如来なのではなく、阿弥陀如来が八幡神なのです。
聖徳太子が残した十七条憲法に説かれる「台の理」。真のリーダーシップとは自らが上に立つのではなく、台となって下から支えるもの。そんな精神が垣間見えます。
そして日本語の音に漢字を当て、カタカナを取り出し、ひらがなを生み出しました。普通、国が侵略されると言語が変わります。漢語に支配されるのではなく、器の中で融和させたのです。
主張しない謙虚な姿勢と信念がなければそんな芸当はできません。
もともと日本にある自然、木も岩も、森も山も、海も川も、空も雲も太陽も、みんな神様だと敬う謙虚な姿勢があればこそ。自然災害や天変地異も神だと畏れ受け入れ、海の向こうからやってくる人も文化も神様であり、「まれびと」として礼節をもって迎え入れました。もちろん、そんな綺麗事ばかりでなく争いも絶えませんでしたが、結局は融け合ったのです。
軸と器に関しては、知る人ぞ知る昭和の文学者、仲井菊雄の詩に表現されています。
軸がなくては定まらぬ
器なければ務まらぬ
どちら欠けども落ち着かぬ
されど過ぐれば煩わし
狭き心や争ひて
揺らば歩みの暗なりし
天(あめ)より賜ふ わだつみの
遠き恋路や ままならじ
わだつみのセレナアデ『仲井菊雄』
8.ほんたうのさいはひ
『銀河鉄道の夜』は童話であって童話でない。キリスト教でなく仏教でもない。イーハトーヴと呼んで愛した岩手を題材にしつつも、日本人を西洋の名前で登場させ、タイタニック号の事件で亡くなったであろう西洋人を日本名で表現するなど、日本でなく西洋でもない場所。夢物語であって、夢物語でない物語。何かに属しているように見えて、実際は何にも属さない、ゆえに全ての人に受け入れられる可能性を含んでいる。まさに前述の日本人の感性そのもの。そんな器の大きな作品だと考えられないでしょうか。
カムパネルラの死を通して自己犠牲の愛とその美しさを綴った物語。実際に賢治が亡くした最愛の妹トシをそこに重ねていたとも言われています。しかし、本当に伝えたかったのは果たして自己犠牲の愛だったのでしょうか。銀河鉄道の終着手前で下車した人々、あるいはカムパネルラの死を通して読者へ訴えかけたのは、決して犠牲ではないと思うのです。
自己犠牲は美しい愛の形の一つかもしれませんが、ジョバンニの視点で見た時、カムパネルラの死は果たして幸せであったろうか。
「捨身月兎」を彷彿させる自己犠牲。
ある老人が施しを求めたのですが、兎には何も与えるものがありませんでした。自分の無力を嘆いた兎は、火に飛び込み自らの身を焼いて捧げようとしました。ところが火は涼しく、その老人が実は兎を試そうとした帝釈天であったことが発覚します。兎の慈悲に感銘を受けた帝釈天は兎を月に上げたという、釈迦の説法でも語られる話です。
作中で語られる「ほんたうのさいわひ」。たとえ自己犠牲が美しい愛の形であったとしても、本当に死を望む人などいるはずがありません。「どこまでも一緒に行こう」と何度もカムパネルラへ向けられたジョバンニの一言は、まさに誰もが願うことでしょう。賢治の妹トシへの想いが重なって胸にこだまし、心の奥へ訴えかけられているように思えてなりません。
しかし、人間いずれは孤独に死んでしまう。早かろうと遅かろうと必ず死はやってくる。だから恐れる必要はない。それでもなお「どこまでも一緒に行こう」という想いがある。その矛盾を受け入れ、いや手放したところに「ほんたうのさいわひ」があるのです。
一緒に逝くことはできない、ゆえに一緒に行くことに意味があるのだと。
兎のように身を捨てるのではなく、捨てる必要があるのは未練であり執着。今あるものを手放さない限り、次のステージへは進めません。
文字を文字通り鵜呑みにせず、自分自身が心で掴んだ真実を軸として据え、他者の考えも尊重できる器を持ってはじめて、たった一つの真理に到達できる。肯定でも否定でもない「包容」こそ終着駅へと至るの切符なのでしょう。
銀河鉄道が到着しなかった終着駅、ジョバンニが求めた「ほうんたうのさいはひ」。私たちはそこへ達するための切符を既に持っているはずなのです。覚えのない切符が、「ほんたうの天上へさへ行ける切符」が、一人一人のポケットに入っている。知らぬ間にブルカニロ博士から受け取っていた切符は、仏教的に解釈するならすなわち菩提心であります。
そうすると般若心経の最後にある真言が、言葉を超えた奥の院へと誘ってくれる讃美歌のように聞こえてきます。これをドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第2楽章をBGMに読むと、ただの読経とは違ってガラッと雰囲気が変わり、荘厳でなんとも言えない気持ちにさせてくれます。
羯帝/ギャテイ(達しなさい)
羯帝/ギャテイ(達しなさい)
波羅羯帝/ハラギャテイ(彼岸へ達しなさい)
波羅僧羯諦/ハラソウギャテイ(完全なる彼岸へと達しなさい)
菩提薩婆訶/ボジソワカ(悟りよ成就あれ)
達することは手放すこと。
時の流れは絶えずある。
捉われ心を手放すと、
自ずと先へ運んでくれる。
どこまでもいく列車のように。
切符片手に未練を捨てて、
執着離れて終着駅へ。
青年の語る「ほんたうの神さま」は、天の父や阿弥陀仏かもしれません。しかし、ジョバンニが言った「ほんたうのほんたうの神さま」は名もなく、言葉で表せない。天の父も阿弥陀仏も、ヤハウェもアッラーも帝釈天もラーもアマテラスも大日如来をも包み込む言葉にならない神さま。言葉のいらない神様なのです。
一人一人が心に写し取った神さまが、すべての思想を包括する唯一無二の光であります。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
宮沢賢治はそう考えていました。そのためには悲しみも含めて経験を積み重ね、心を養っていかなければならない。そしていつか自己犠牲でも他者犠牲でもないところへ。
そして、サウザンクロスが終着駅だとしたら、到着後は折り返してまた北十字たる現世へ戻ってこなくてはなりません。
十牛図の「返本還元」がゴールではなく、「入鄽垂手」に表されている通り、悟りに達したなら次は現実世界における「ほんたうのさいわひ」を達成するために働く菩薩道が始まるのです。
結婚も悟りも、それがゴールではなく「本当のスタート」なのです。
知らんけど。
それでは、これにて卯年を締めくくり、皆様が佳き辰年を迎えられますよう願っております。
卯の年に 兎にも角にも 手放して
迎える辰や うだつ上がらむ