CRAFT GATE

和の情 テーマ「流」

 目次

  1. 目標と願望
  2. 龍について
  3. 聖徳五憲法における龍
  4. 生きるとは?
  5. フィルター越しの認知
  6. 合目的的無目的
  7. ガのこころ、ワのこころ
  8. 心ある、ない心
  9. ひととなり
  10. 暦の話
  11. 雨を喜ぶ詩

 

大きな地震で始まった今年。2日には航空機の炎上。天変地異に人災と、今年は荒れそうな予感がしてしまいます。地震は揺れるだけで本当に恐ろしいですよね。それが震度7。阪神淡路大震災の揺れよりもさらに大きいなんて、想像がつきません。倒壊した建物や道路を報道で見ているだけで涙ぐましい。何かほんの少しでも支援ができたらと思い、この勉強会の参加費や販売するカレンダーの代金は義援金として全額寄付させていただくことにしました。たとえ些細な額であろうと国民一人一人が数千円、数万円でも協力できれば大きな力になると信じて。1月いっぱいお金を集めて2月にでも振り込みできればと思っておりますので、一緒に寄付していただける方はぜひご連絡ください。

 

目標と願望

さて、年末年始といえば、その年の抱負や目標を考える方も多いのではないかと思います。僕も一年の抱負を四字熟語で決め、日々心がけるようにしています。ちなみに2020年から順番にご紹介すると「慎始敬終」「虚心坦懐」「当意即妙」、去年は「一言一行」でした。毎日意識して生活をすることで良い戒めになります。

そして今年は「温良恭倹(おんりょうきょうけん)」。常に穏やかで素直であることを忘れず、相手を敬い礼儀正しく自分は謙虚である、という意味です。正月に「今年は温良恭倹をテーマに過ごす」と義母に話していると、「なんや怖いこと言うなぁ」と言われました。何が怖いのか考えてみると、なるほど「怨霊狂犬」と解釈したのか、確かにそれは怖い(笑)。

認知症以外は健在の祖母の名前には「恭」の字が入っていて、愛着も湧きます。うやうやしいことや、おごりたかぶらないこと、という意味があります。2023年はこれまでの業の種が花開くようにして、数珠繋ぎに嬉しいご縁をいただき、人に頼りにしてもらえた有難い年でした。すぐに図に乗ってしまう自分の性格を律するため、常に謙虚でおごらないことを日々意識して過ごしてまいります。

 

新年や節目に新たな目標を設定することは素晴らしいのですが、私たちは往々にして反省することが苦手ですよね。特に日本人がそうなのかもしれません。その原因を考えるに、目標ではなく「出来もしない願望」を掲げることによって未達成で終わる癖がつき、思い通りの結果に至らない。ゆえにふり返るのが嫌になる、といったところでしょうか。抱負と目標、願望は峻別せねばなりません。

いつも絵空事に終わり、水泡の如く消え去ってしまう政治家の空約束の公約にはうんざりさせられます。政策に関しても、マイナンバー制度しかり、コロナ対策しかり、原発事故・処理水問題しかり、馬鹿みたいな行き当たりばったりの愚行についてまったく検証しない。少なくとも、施策の結果について共有しようとする姿勢は見られません。探してやっと見つかるウェブサイトにひっそり書かれているのは、検証ではなくただの事務的な記録だけ。記録を検証しないと、同じような事態をまた繰り返すことになってしまいます。

「ふり返らない」と「ぶり返す」のです。

ですから、まず新たな目標設定や抱負を決める前に、昨年までを振り返りましょう。僕の場合ですと、2023年は「一言一行」の抱負。日々ひとつひとつの言葉と行動に気をつけられたか。1月に購入した勝尾寺のだるまさんの背中に、毎日正の字を入れて365日チェックをしていました。

反応的に言葉を発さず、たとえ嫌なことがあってもひと呼吸置いてから行動すること。これがなかなか難しくて、正直言うと出来なかった日もありました。それでも日々意識し続けることでずいぶんと結果は変わったと思います。「温良恭倹」と合わせ、引き続き「一言一行」にも配慮する年にします。

参考までに目標設定について。目標には具体的な数値と期限が必須です。いつまでに何を達成するのか、客観的に是非の判断を下せるものでないと意味がありません。そして達成できればステップアップ、未達成であれば検証し、計画を練り直して実行に移す。その繰り返しですね。

しばしば目標と目的は混同されがちですが、目的は最終ゴールですので、一つの事柄に対して一つしかありません。対して目標は目的を達成するための手段であり、目的を遂げるため小分けにした階段ですから、いくつあっても構いません。そして重要なのは行動目標です。

例を挙げてみましょう。「京都について見識を深める」という目的を設定したとします。そのための目標として「京都検定に合格する」ことを掲げます。多くの人がここで終わってしまうため、目標設定が嫌になるのです。なぜなら、合格できるかどうかに関しては言うまでもなく勉強する努力は必須ですが、自分の努力だけではどうにもならない要素が潜んでいるからです。急な体調不良であったり、受験する年に限って急に問題が難しくなったり、要因はいくらでも考えられますよね。そうすると、必ず合格すると気合を入れても、達成できるかどうかは時の運。にも関わらず、その責任を全て負うような振り返りをするため、設定したくなくなってしまうんです。

そこで鍵となるのが「行動目標」です。行動目標とは、「京都検定に合格する」という目標に対して、どのような行動を取るか、「行動したか、しなかったか」というレベルで判断できるところまで目標をさらに分解したもの。デカルトは「困難なことはすべて、 扱うことができ、 解決が必要な部分へと分割せよ」と言いました。こういった手法は要素還元主義と呼ばれています。

例えば、「毎日30問の過去問を解く」などが行動目標です。これなら自分が「行動したか、しなかったか」で判断ができますよね。これを評価して、できればオッケー。たとえ検定に合格しなかったとしても構いません。きちんと行動できれば二重マル。仮に「毎日勉強する」とか「苦手な箇所を復習する」といった内容では、行動できたのかどうか客観的に判断ができないため不十分です。

いざ試験に挑み、もし不合格であったなら、どこに原因があるかを検証し、その修正をして目標設定を練り直すだけです。これを繰り返せば、愚公が山を移すことになり、いずれは時の運も味方になって合格できることでしょう。

目標に対してコミットする、必ず達成すると自分に約束をするのは、目標に対してではなく「行動目標」に対してです。目標を設定し、行動すればすぐに行動目標に対してはふり返ることができますから、実行検証は同時進行できます。ビジネスシーンでは最もポピュラーなのはPDCAサイクルですが、日本人なので英語で理解するとワンテンポ遅れます(笑)。個人的に最もスピード感ある進め方は「目標設定」と「実行検証」の2セットの繰り返し。別に実行検証から始めても問題ありません。僕はこれで充分結果が出せると実感しています。

何も考えずにただ辰年だから昇龍の如く飛躍の年にしたい……などと漠然とした願望だけを抱えていても、きっと飛躍はしません。目標に向かってどう行動するのかが抜けて落ちているからです。龍は懸命に行動する人の背中を押してくれますが、動かないものを動かすようことはありません。ぼんやりとした願望を抱く人は、おそらく前年の卯年にもピョンピョン飛躍したいとか願っていたのではありませんか。神社へ願い事をしに行くのも大いに結構ですが、「叶えたい願いのために自分は〇〇を一生懸命やります」が抜けている人が多い。自分は精一杯頑張る前提で、その後押しを願うべきなのです。

そして無事成就した暁には、必ずお礼参りをしに行くこと。毎年、京都の「御金神社」という場所には金運が上がるパワースポットだと噂が広まっていて、狭い路地に物凄い行列ができます。近所なので前を通ると、年末から人だかりが出来ていました。何とも言えない金色の鳥居がシンボルです。ここでお願いする人のうち、いったい何人が願望ではなく明確な目標達成の宣言をしているのでしょうね。何時間も並ぶ暇があるなら生産的な活動をした方が早い気がしますが……おっと、謙虚に過ごす年なのでこれ以上は控えておきます。

少し脱線しますが、新興宗教やオカルトを盲信する人々は、例え助言や預言が外れたとしても、それまで信じてきた教祖や教理から離れられない場合が多いそうです。社会心理学で認知的不協和という概念があって、ダイエットをしたくても食べることをやめられない、健康に悪いと分かっちゃいるけどタバコを吸ってしまうなど、矛盾した状態に陥ってしまう現象。盲信した教祖的存在が、最初は自分にとって何かしらの有益性があったとしても、他で不利益なことがあったり、教団が大きくなるにつれて不満が溜まったり、教祖が良からぬ方向へ没落してしまったりしても、ダメだと思いながらやめられない信者は少なくありません。誰だったか忘れてしまいましたが、心理学者のチームが実際にあるオカルト教団の中に入って調査した例がありました。

いずれにせよ、辰年の龍の力に後押しをいただいて、皆様が前進する年となることを願っています。

 

龍について

ところで、龍と聞けば誰もが容易に想像できますよね。ドラゴンボールの神龍、まんが日本昔ばなしのアニメでオープニングに登場する龍、神社の手水舎によく置かれている龍。しかし、その架空の動物である龍の起源や伝承を辿っていくともはやカオス。泥沼です。あちこちで様々な伝承があって、その正体を掴むことは不可能に思えてきます。

毎年、南方熊楠の『十二支考』でその年の干支の章を読んでいます。干支の動物にまつわる伝承が洋の東西を問わず幅広く引用されており、幅広いどころか広すぎる知識の海に唖然としてしまうほどですが、興味深い箇所をいくつかご紹介しましょう。

まずは『本草綱目』という中国の百科事典的な書物から。

竜形九似あり、頭駝に似る、角鹿に似る、眼鬼に似る、耳牛に似る、項蛇に似る、腹蜃に似る(蜃は蛇に似て大きく、角ありて竜状のごとく紅鬣、腰以下鱗ことごとく逆生す)、鱗鯉に似る、爪鷹に似る、掌虎に似るなり、背八十一鱗あり、九々の陽数を具え、その声銅盤を戞つがごとし、口旁に鬚髯あり、頷下に明珠あり、喉下に逆鱗あり、頭上に博山あり、尺水と名づく、尺水なければ天に昇る能わず、気を呵して雲を成す、既に能く水と変ず、また能く火と変じ、その竜火湿を得ればすなわち焔もゆ、水を得ればすなわち燔やく、人火を以てこれを逐えばすなわち息やむ、竜は卵生にして思抱す(思抱とは卵を生んだ親が、卵ばかり思い詰める力で、卵が隔たった所にありながら孵かえり育つ事だ)

『本草綱目』

日本における龍は、一般的にこの形式で理解されているのではないでしょうか。現実の動物の特徴をいくつも兼ね備えており、日本的には目が人間であるとする説が広まってるように思えます。

次の『類函』(おそらく淵鑑類函のことかと思われる)は、清の時代に成立したこれも百科事典のようなものです。

竜を画(えが)く者の方(かた)へ夫婦の者来り、竜画を観た後、竜の雌雄状(さま)同じからず、雄は鬣(たてがみ)尖り鱗(うろこ)密に上壮(ふと)く下殺(そ)ぐ、雌は鬣円く鱗薄く尾が腹よりも壮(ふと)いといい、画師不服の体を見て、われらすなわち竜だから聢(たしか)に見なさいといって、雌雄の竜に化(な)って去ったと出づ

『類函』

ここから仏典に登場する龍を見てまいりましょう。唯識三十頌で有名な世親の『阿毘達磨倶舎論』には、親鳥が卵を温めて育てる鳥類に分類されるかのような形態で表されています。

太海中大衆生あり、岸に登り卵を生み、沙内に埋む、還りて海中に入り、母もし常に卵を思えばすなわち壊こぼたず、もしそれ失念すれば卵すなわち敗亡す
雄上風に鳴き、雌下風に鳴く、風に因りて化す

『阿毘達磨倶舎論』

竜に卵生・胎生・湿生・化生の四あり、皆先身瞋恚(はらたて)心(こころ)曲がり端大ならずして布施を行せしにより今竜と生まる、七宝を宮となし身高四十里、衣の長さ四十里、広さ八十里、重さ二両半、神力を以て百味の飲食(おんじき)を化成すれど、最後の一口変じて蝦蟇(がま)と為る、もし道心を発し仏僧を供養せば、その苦を免れ身を変じて蛇とかげと為るも、蝦蟇と金翅鳥(こんじちょう)に遭わず、黿(げんだ)、魚鼈(ぎょべつ)を食い、洗浴(ゆあみ)衣服もて身を養う、身相触れて陰陽を成す、寿命一劫あるいはそれ以下なり、裟竭(さがら)、難陀等十六竜王のみ金翅鳥に啖われず

『経律異相』

仏教経典ではお馴染みの龍の様相が浮かびます。金翅鳥とはガルダ、黿はおそらくワニ、魚鼈は魚やスッポンのことであるかと思われます。調べるのが大変で、読むのに時間がかかります(笑)。

四種の生とは仏教用語で、卵生(らんしょう)は鳥類のように卵から生まれるもの、胎生(たいしょう)は獣類のように胎内から生まれるもの、湿生(しっしょう)は虫類のように湿った場所から生まれるもの、化生(けしょう)は天人や地獄の生物のようによりどころをもたずに忽然と生まれるものを指します。

さらに龍は神聖な動物ではありますが、万能でも不死なわけでもなく、むしろ人間くさい側面を持っていることがうかがえる記述が『僧護経』にありまして、これは面白いです。

竜も豪(えら)いが、生まるる、死ぬる、婬する、瞋(いか)る、睡(ねむ)る、五時(いつつ)のときに必ず竜身を現じて隠す能わず。また僧護竜宮に至り、四竜に経を教うるに、第一竜は黙って聴受(ききとり)、第二竜は瞑目(ねむり)て口誦(くじゅ)し、第三竜は廻顧(あとみて)、第四竜は遠在(へだたって)聴受(ききとった)、怪しんで竜王に向い、この者ら誠に畜生で作法を弁えぬと言うと、竜王そう呵(しか)りなさんな、全く師命(しのいのち)を護らん心掛けだ、第一竜は声に毒あり、第二竜は眼に毒あり、第三竜は気に、第四竜は触(さわる)に毒あり、いずれも師を殺すを虞(おそ)れて、不作法をあえてしたと語った。

『僧護経』

中国方面だけでなく、欧米においても龍の記述は多数出てきます。

メキシコの響尾蛇(きょうびだ/ラットルスネーク)の頭に両羽あり、またその地に竜を産し、鷲の頭、蜥蜴(とかげ)の身、蝙蝠(こうもり)の翹(つばさ)で、ただ二大脚あり。大きさ羊のごとく、姿怖ろしけれど害を為なさぬ

サミュール・ド・シャムプレーン
『一五九九―一六〇二年西印度および墨西哥』

響尾蛇とはガラガラヘビのことです。日本や中国では翼のない龍が基本的な姿ですが、鳥類やコウモリの分類として捉えられていたのか欧米では前足の代わりに翼を有していたり、四脚に翼があるものも見受けられます。また、ドラゴンという読み方に関しては、イギリスのウォルター・アリソン・フィリップ氏によると、ギリシャ語のドラコン、ラテン語のドラコがもとで、ギリシャ語のドラコマイ(視る)にちなみ、龍の目の鋭さを強調しているのだそう。熊楠は当然のように人物名や書物を挙げるのですが、誰やねん!って感じです(笑)。それにしても記憶量が半端ないことが文面から伝わってくるので、ぜひご一読いただきたい。

竜眼を血の湖に比べ、欧州の諸談皆竜眼の恐ろしきを言い、殊に毒竜(バシリスク)は、蛇や蟾蜍(ひきがえる)が、鶏卵を伏せ孵(かえ)して生ずる所で、眼に大毒あり能く他の生物を睨み殺す、古人これを猟った唯一の法は、毎人鏡を手にして向えば、彼の眼力鏡に映りて、その身を返り射い、やにわに斃死(へいし)せしむる

『シャー・ナーメ』

こちらはイラン最大の民族叙事詩。『ハリー・ポッター』に登場する蛇ナギニや、ギリシャ神話でメデューサの目を見ると石化するといった伝承にも通ずるところがありそうです。

ところで、『十二支考』ではたびたび「フ氏」という人物が引用されているのですが、誰のことを指しているのか分からないのです。緒方洪庵が『扶氏経験遺訓』という医術に関する訳書を出版していて、その原書『Enchiridion Medicum』を著したのがベルリン大学教授であったフーフェランドという人物。熊楠よりも少し前の人で時代は近いため、フ氏とはフーフェランドのことを指しているのかと予測しつつも、自信はありません。ご存じの方おられましたら教えてください。

そのフ氏いわく、「竜の形状は最初より一定せず、カルジアのチャーマットは躯に鱗ありて四脚両翼を具せるに、エジプトのアポピとギリシア当初の竜は巨蛇(おろち)に過ぎず。『新約全書』末篇に見えた竜は多頭を一身に戴き、シグルドが殺せしものは脚あり。欧州でも支那でも、竜の形状は多く現世全滅せる大蜥蜴類の遺骸を観て言い出したは疑いを容れず。支那や日本の竜は、空中を行くといえど翼なし」とあります。

ここまできて結局、姿形や起源については記述に一貫性がなく、せいぜい欧州ではトカゲ寄り、中国や日本ではヘビ寄りといったことが分かる程度。聖人孔子でさえ龍とは知り難きものとしていたそうですから、私たち一般庶民の手に負える領域ではないのかもしれませんね。

ちなみに、不動明王の化身として崇拝され、その剣を纏う倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)は、中国では黒龍と訳され、もとは梵語でクリカラサ、つまりトカゲの一種であったそう。仏典に登場する竜王などの名前も、おそらくトカゲに関連する意味を持っているものが多いと熊楠は考えていました。

一八七六年版ゴルトチッヘルの『希伯拉鬼神誌デル・ミスト・バイ・デン・ヘブレアーン』に、『聖書』にいわゆる竜は雲雨暴風を蛇とし、畏敬せしより起ると解いた。アラビア人マスージー等の書に見る海蛇(『聖書』の竜タンニンと同根)は、その記載旋風が海水を捲き上ぐる顕象たる事明白で、それをわが国でも竜巻といい、八雲立(やくもたつ)の立つ同様下から立ち上るから竜をタツと訓み、すなわち旋風や竜巻を竜といったと誰かから聞いた。支那やインドで竜王を拝して雨を乞うたは主にこれに因った。

南方熊楠『十二支考』

雲が立ち上る様子をタツという言葉で表現し、龍として捉えていたことを考えると、我が国では少なくとも素戔嗚の頃から龍への信仰があったことになります。欧米や中国方面では、ヘビやトカゲを神格化していたのに対し、聖書における龍や日本の神話における龍は雲雨暴風、あるいは雷雲など、自然発生する力を龍と捉えていたことが分かります。

このような自然現象や気の流れを捉えて龍としていたのであれば、もっとも納得がいきます。現にあちこちで、まるでアニメの龍のように動く気の流れを感じ取れるからです。大小、力強さは様々で、大きいものでは空や山を覆うような、小さいものでは気の枝にうねうねと絡みつくようにして細長く動く気の流れが実際にあります。そんな動きを捉えて、僕はきっとこれが龍なんだろうと解釈しています。ですから、八雲立つ龍の話は何より合点がいきました。

最後に聖書を取り上げてみましょう。こちらは『十二支考』ではあまり触れらておらず、先ほどの引用に出てきた程度ですので自分で調べてみました。『旧約聖書』の詩篇に以下の記述があります。

神はいにしえからわたしの王であって、救いを世の中に行われた。あなたはみ力をもって海をわかち、水の上の龍の頭を砕くだかれた。あなたはレビヤタンの頭をくだき、これを野の獣に与えてえじきとされた。

『旧約聖書』

海の怪物とされるレビタヤンは、現代のヘブライ語では鯨を指します。この場合は、おそらく龍のことを指していると思われます。

次に『新約聖書』のヨハネの黙示録では龍について散見できました。

また、大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て、足の下に月を踏み、その頭に十二の星の冠をかぶっていた。この女は子を宿しており、産みの苦しみと悩みとのために、泣き叫んでいた。また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、大きな、赤い龍がいた。それに七つの頭と十の角とがあり、その頭に七つの冠をかぶっていた。その尾は天の星の三分の一を掃き寄せ、それらを地に投げ落とした。龍は子を産もうとしている女の前に立ち、生まれたなら、その子を食い尽くそうとかまえていた。

〜中略〜

またわたしが見ていると、ひとりの御使いが、底知れぬ所のかぎと大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕らえて千年の間つなぎおき、そして、底知れぬ所に投げ込み、入口を閉じてその上に封印し、千年の期間が終わるまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた。その後、しばらくの間だけ解放されることになっていた。

『新約聖書』

他にいくつかありましたが、内容的として聖書における龍は悪魔の化身的な扱いを受けていることが分かります。そうすると、旧約であれ新訳であれ聖書を信仰している民族は基本的に邪なものとして捉えていたわけですね。日本では畏敬の念を持ち信仰の対象としていましたが、八岐大蛇のように首が多数ある怪物として神話に描かれていることを踏まえると、多頭の龍は邪とする点で聖書と共通しています。ユダヤと日本は密接に関わり合ってきましたから、これも納得できますね。

 

聖徳五憲法における龍

龍といえば、我が国では聖徳太子の十七条憲法が頭に浮かびます。

浮かびます?笑

十七条憲法について少し話しますと、一般的に知られているのは『日本書紀』における記述ですが、江戸時代に発禁処分を受け偽書とされた『先代旧事本紀』には、「聖徳五憲法」として十七条が五種類に分けて記述されており、計八十五条あります。おそらく日本書紀はこれを元に編纂されたと考えられます。成立時期を見ても『日本書紀』は720年、原本とされる七十二巻本の『先代旧事本紀』は622年ですから。

その基本理念は、五輪(父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信)と五常(仁/いつくしみ、義/ただしき、礼/うやまい、智/さとり、信/まこと)で、人が納めるべき十の道を説き、残りの七は五行(木、火、土、金、水)と相性・相剋(五行の環り方)を示しています。すなわち、人のあるべき道を天地の通りに合わせようという試みなのです。まさに今年、流れに乗って生きるというテーマにぴったりではありませんか。

聖徳太子は、あるとき白鹿に出会いました。白い鹿は縁起の良い霊獣とされており、日本酒のブランド名「白鹿」も長寿の願いが込められているそうです。その白鹿には十七本に枝分かれした角があり、太子にはその先端ひとつひとつに浮かぶ漢字が見え、十七という数は世法(世の中の普遍的な法)を表しているのだと読み取りました。飛鳥時代から時代を経て、平安時代に成立した真言宗の根本経典である『理取経』も十七の段に分けられており、SDGsのゴールは合計17で作られていることも無理矢理むすびつけると、日本国家誕生の頃から「17」という数が現代まで脈々と流れているんですよ。ロマンを感じられませんか。やっぱりお札は、今あえて聖徳太子に戻してほしいなと思うところです。

お札と言えば、今年から新しい紙幣の発行が予定されています。千円札は北里柴三郎、五千円札は津田梅子、そして一万円札は渋沢栄一に決まりました。なんとなく残念な気持ちになっているのは僕だけでしょうか。医学者、教育者、実業家として名を上げた方々はもちろん尊敬できますけど、資本主義へさらに傾こうとしている気がして違和感があります。現在の福沢諭吉、樋口一葉、野口英世、その前の夏目漱石や新渡戸稲造が、昭和生まれの僕としては一番馴染み深い。文学者がお札の顔だなんて非常に日本らしく情緒的ではありませんか。

紙幣に扱われた肖像の変遷を辿ると、戦前には和気清麻呂、武内宿禰、藤原鎌足、聖徳太子、日本武尊。戦後では、高橋是清、板垣退助、聖徳太子、伊藤博文、そして前述の福沢諭吉、新渡戸稲造、夏目漱石、樋口一葉、野口英世の順になります。番外として政府紙幣では、神功皇后、板垣退助が取り上げられました。日本国家の原点とも言えますから、聖徳太子は戦前にも戦後にも取り上げられています。紙幣に印刷する人物選考の理由としては、より偽造されにくくするためには肖像画よりも写真の方が適しているという理由で近代の人を選んだそうですが、全く理解できません。現代のIT技術で写真の方が偽造しにくいなんて馬鹿なことがありますか? AIが本物そっくりの写真を生成する時代ですよ。DXを推進している日本の政治家は全くもってガラパゴス状態。あるいは他の理由があるのでしょうね。もっとマシな言い訳を考えて欲しいものです。

話を戻しまして、十七条憲法というのは現代の憲法と性質が違っていて、太子の哲学思想であり、人が実践すべき道徳規範です。カントは、「道徳とは幸福になるための教理ではなく、どうすれば幸福に値するようになれるかの教訓である」と言いました。まさに幸福を受け取れる状態へと自分を高め、流れに乗るに値する器を広げるための規範が十七条憲法であるといっても過言ではありません。

白鹿の角から読み取った琴、斗、月、台、鏡、竹、冠、契、龍、花、日、車、地、天、水、籠、鼎の漢字を当て、十七の教訓が作られました。和の情勉強会の漢字一文字のテーマは、実はここからパクって……もとい、ここからインスピレーションを受け、インスパイアされ、パロディ化して一つのテーマを決めているんですよ。

前述した通り、十七条憲法には『先代旧事本紀』において五つの別があります。通蒙憲法、政家憲法、儒士憲法、神職憲法、釈氏憲法に分けられ、それぞれ一般向け、政治家向け、儒学者向け、神職向け、仏教僧向けに内容が調整されています。このうち、通蒙憲法が『日本書紀』で取り上げられているもので、私たちにとって一番身近な、ウィキペディアにも掲載されている十七条憲法なのです。

『日本書紀』に取り上げられるにあたって、大きく変更された箇所が一つあります。それは第二条の「篤く三宝を敬へ。三宝とは仏法僧なり」から始まる条文。おそらく記紀成立当時、大化の改新以降、仏教によって国を統治しようとする動きがさかんになりました。そのため、通蒙憲法のうち十七番目に掲げられている「篤く三法を敬へ。三法とは儒釈神なり」を前に持ってきて、本来は神道、仏教、儒教を三宝とされていたにも関わらず、仏教の教理である仏法僧にすり替えられたのです。ただ、最初の「和を以て貴しと為し」から始まる条文よりも前に持ってくることはさすがに気が引けたのか、二番目に据えられました。太子の想いを考えると、仏教だけでなく当時あった神仏儒、どの宗教をも和合させることを願っていたに違いありません。

いずれにせよ、幸福の流れに乗るための教訓としては、いかなる宗教をも包み越えていきたいところです。

それでは、十七条憲法で「龍」の字が当てられた条文を見てまいりましょう。『先代旧事本紀』の「聖徳五憲法」では九条目に、龍の理と謙道(ゆずりのみち)として説かれています。『日本書紀』は、先述の改竄によって十条になっています。全文は次のとおり。

十曰、絶忿棄瞋、不怒人違。人皆有心。々各有執。彼是則我非。我是則彼非。我必非聖。彼必非愚。共是凡夫耳。是非之理、詎能可定。相共賢愚、如鐶无端。是以、彼人雖瞋、還恐我失。我獨雖得、從衆同擧。

『日本書紀』

訓読するとこのような形です。

十に曰く、忿(ふん)を絶ち、瞋(しん)を棄てて、人の違ふを怒らざれ。人には皆心有り。心に各執われること有り。彼の是則ち我の非とし。我れ是は則ち彼を非とす。我必ずしも聖に非らず。彼必ずしも愚に非らず。共に是れ凡夫のみ。是非の理を誰か能く定むべき。相共に賢愚なること環の端無きが如し。是を以て彼の人は瞋と雖も還って我の失を恐れよ。我獨り得たりと雖も衆に従って同じく擧(おこな)へ。

意訳するとどうしても訳者の感性が入ってしまうので、できる限り原文で味わっていただきたいなと思いますが、ざっくり言えば、他人との違いを受け入れ、自分が正しく相手が間違っているとは限らないのだから、自分を疑い、いつも謙虚であるようにと説いています。ちょうど今年の抱負「温良恭倹」にも通じるところがあって、今年はこの憲法も心がけたいと思います。

宮東斎臣の『聖徳太子に学ぶ十七条五憲法』にも、龍について記述があったので下記に引用しました。

龍は生き物の中で最大であり、清らかな徳をもったもの(靈物みたまもの)である。大きな身を小さな身に変えることができ、しかもどんなに小さく奥深い所にも隠れることができる。 即ち大いなるものが、小さなものを敬ぶことができる。これをへりくだる(譲)という。 龍は、タツで霊性の動物である。狭い場所にも小さくなって隠れることができる生物である。この例にあるように、大いなる徳を持っているが、小さい徳に隠れている。徳を施す程に、大きな徳は譲(謙)って、小さい徳を生かす。 また、龍は大きなものであるが、小さくなるように、自惚れてはならないと諭している。龍は気の流れそのものも示し、人が、気が大きくなる、気が小さくなるということにも通じる。勢いの盛んな時ほど、奥深く、謙譲の美徳に立ちなさい、これが礼義の根本であると教えている。

「飛龍天に在り」という言葉があるが、反面、「潜龍用いるなかれ」とある。変化無限なのが龍ではないでしょうか。龍は奥深く、しかも義侠心に富む生きものでありましょう。

宮東斎臣『聖徳太子に学ぶ十七条五憲法』

太子が思い描いた「和を以て貴しとなす国」は、支配ではなく統治、武力ではなく人徳、権力ではなく権利、民を酷使するのではなく慈しむ世の中です。これが、ウシハク国ではなくシラス国たる和の国のあり方なのです。ウシハク、シラス、どちらも国を治めるという意味合いですが、前者は武力によって我がものにする、主人(ウシ)が履く(支配する)。後者は「知らす」が語源で統合する意味が強く、慈悲の心で人々の幸せを心から願う治め方。出雲神話の「国譲り」という言葉に表れるように、支配するのではなく一つになるということを目指したのが我が国「日本」なのです。

シラスは『ワンピース』の主人公ルフィに通じるところがありますよね。

「支配なんかしねぇよ。この海で一番自由な奴が海賊王だ!!」

これはまさに、海賊王という称号が天皇の存在を彷彿とさせるセリフ。「ひとつなぎの大秘宝」は、正義の旗を掲げた海軍の武力によるウシハク世界を終わらせ、いかなる支配もないシラス統治、すなわち全世界が統合されて一つになることを示唆しているのでしょうか。

最澄は「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という理念を残しました。一人一人が流れに乗って生きる、各々が存分に能力を発揮する、それが光となって闇を照らす宝となる。そして一隅を照らす光が、やがて全てを照らしていく。一隅を照らす道は、遍く照らす大日如来へ至る道でもあり、遍照金剛たる空海と最澄は縁が切れたことで知られていますが、僕の目には、二人が手を取り合ってこの世界を照らしてくれているように見えてなりません。

 

生きるとは?

年末に浄土真宗の住職から仏教講座(半年間ほど毎月)に人数合わせで誘われまして、これも何かのご縁と思い、流れに乗って参加することにしました。

そこで、「生きるとは?」という題から真宗らしく始まり、改めて自分にとって「生きる」ってどういうことなんだろうと考える良い機会になりました。僕にとって生きるとは、まさに流れに乗ること。うねうねと龍が躍動するかのように、人生の荒波にのること。上がりもするし、下りもする波に逆らわない。そこへ丁寧に生活することをかけ合わせると、生きている実感が湧いてきます。

阿弥陀仏は、私たちを導いてくれる光であることに違いありませんが、それは宗教の、浄土仏教というフィルターを通して観たときに映る姿。阿弥陀仏でも、キリストでもなんでも構わない。

その光の流れから逸れると息苦しくて、生きている心地はしません。流れに乗るというより、流れが自分を通して生かされているという感覚。好きにしてって感じです(笑)。その繊細な躍動は、五感を使って丁寧に生活をする中で養われる直感だけが感知でき、テクニックやメソッドでは分からない、各々が慎重に見極めるべき道であろうと思います。

 

フィルター越しの認知

いかに霊感が強くて、スピリチュアルなメッセージを受け取ったり、霊の姿を見たりできたとしても、その人のフィルターを通して感得したもの。今、私たちが肉眼によって見えている世界でさえ、網膜に映った光を電気信号に変えて脳に伝達しているに過ぎません。人間のフィルターを通して見ているわけで、同じ物であっても犬には違うように見えているのです。だから見えない存在を見える人がいたとして、鵜呑みにする必要はまったくありません。

ただ、確かに見えない存在は肉眼で捉えられないだけで存在してうることも確か。サードアイで意識的に捉えることも出来ますが、確実にフィルターを通ります。いかなる霊能者であろうと、仏教の世界しか知らない人は不動明王や弥勒菩薩を感じることになり、キリスト教の世界しか知らない人は神や天使を感じるのです。証拠とまでは言えませんが、少なくともキリスト教圏にいるスピリチュアルな能力者が、厳しい炎のようなエネルギーを感じることはあったとしても、不動明王は出てこないのではないでしょうか。仏様にしても、そもそも釈尊の修行から悟りに至る過程を偶像化したものですから、純粋にそのような姿形をしている高次の存在ではありません。

とは言え、低級な霊などはその限りではなくて、具体的な形となって働きかけてきます。大抵の人はハッキリとしたものを信頼しやすく、曖昧なものは受け入れにくいので、そういった低級霊に翻弄されて霊能者を気取る輩が後を絶たないのでしょう。

漠然とした抽象的な光に身を委ねる勇気を持って、自分のフィルターを曇らせないように日々努めることが肝心ですね。

ネット記事に関しても、今はすぐにググったり、AIに質問をして回答を得られたりしますが注意が必要です。広告でも何でも、一人一人に適したフィルターがかけられ、その人の興味が湧くようにカスタマイズされます。

検索エンジンでは、上位に上がってくる情報はどんどん似たり寄ったりな記事が上がるようになりがちで、反対意見は見つけられにくい傾向があります。

例えば、「日本書紀は出まかせ」といった記事に人気が出たとしましょう。すると、その記事から情報をコピペしたり、文章だけ変えて同じことを発信するような記事が増えていきいます。結果、上位に表示されるのは、正しさ云々ではなく「閲覧数が多い記事」となってしまうというカラクリ。

何でも簡単に調べられる反面、反対意見が出ずらく、みんながみんな同じ方向を向いてしまうという気味の悪い社会へと進んでいく恐れがあります。自分の目で見たもの、ネットで調べた誰かの意見ではなく、様々な角度から調査した内容を自分で精査し、右向け右の薄っぺらい流れに惑わされないように気をつなければなりません。

 

合目的的無目的

流れに沿う、命が自分を流れているという感覚はどうも伝えづらくて困ってしまうのですが、「合目的的無目的」という造語はうまく表現できていると思っています。合目的的とは目的にかなっているという意味で、無目的は目的がないこと。目的が無いことが目的にかなっているという矛盾した言葉です。

人生の終着点は死ですが、生命は延々と続いていきいます。その果てを知ることはできず、反対に生命の初めも分かりません。釈尊はこれを思議できないゆえ「不可思議」と名づけました。

命は死ねば終わるという考えは、私たちの儚い体と心が自分自身であるとする勘違いであり、これを無明と言います。この肉体や思考をしている存在は小我に過ぎません。私たちの本体は大我(言い方は真我でも何でも構いません)なのです。その大我たる命の本流が行く着く先は、人智の及ばないところ。ゆえに目的地を定めるのではなく、流れに逆らわず、流れに沿うことが重要であり、それが合目的的無目的という生き方。阿弥陀仏やヤハウェに救われている気分で、完全なる自由意志でありながら、分岐のない一本道です。

ただし、流れに乗り続けるということは、得てして過酷で困難な道でもあり、楽しいことばかりではありません。それでもなお自由意志に従う方が幸福です。「奴隷の平和よりも危険な自由を好む」とルソーが言ったように、流れに乗ることは危険と隣り合わせな波乗りなのでしょうか。

そんな危険な波乗りは、合理主義的な視点で見ると無駄が多く見えてしまうことがあるようです。現代は特に最短距離を進み、徹底して無駄を省こうとする意識が強い。そんなに生き急いでどこへ向かうというのか。最終的な目的地なんて人智が及ばないわけですから、せいぜいよく生きてよく死ぬことぐらいしかできません。

今日死ぬのか明日死ぬのか、あるいは数十年後に死ぬのか分からないのが人生物語。寄り道をしている暇がない、道草を食っている暇がないと考えるのは、ある目標達成においてのみ適用される考えであって、人生を大きく捉えたときには、寄り道や道草こそ醍醐味。人生で一番楽しかったこと、一番幸せだったことはなんですか? やり遂げた仕事、家族や友人と過ごした時間、あるいは何気ない日常でしょうか。余暇を楽しむために働く、やりたいことをするために何かを頑張るということは、言い換えれば寄り道をするために今は本線を進むと言ってるようなもの。本線は寄り道にあり、道草にあるんですよ。

空海は『遍照発揮性霊集』で「ああ同志、なんぞ優遊せざる」と残しました。同志よ、どうしてゆったりと遊ばないのか? という問いかけです。

その言葉を借りて問いかけましょう。

「同志よ、どうして生き急ぎ、道草という醍醐味を味わわないのか?」

 

ガのこころ、ワのこころ

ある人がこう言いました。

「人が人生で一番使う言葉は何か知ってるか?」

なんだと思いますか?

その人が言うには「私が」らしいです。

我の強い私たちは、僕が、私が、俺が、と「自分が」とい言う言葉を一番使うのだと。ピンと来るようで来ない気もして、実際に統計を取ってみると絶対違うだろうなと思いながら話を聞いていました(笑)。

そこで、僕は反対に「私は」が大切だと思いました。みんな何となく流されて、人に合わせてしまって自分を見失いがちですから、他人がどうあれ自分はどう感じるか、自分はどう思うのか、自分はどう行動するのか。これが大事でしょう?

なんせ、「ガ」のこころじゃなくて、「ワ」のこころを語る勉強会ですから。

「ガ」のこころは、聖徳太子の龍の教訓で先述した「譲りの道」に反します。「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」という論語にもある通り、「同じて和せず」と同調するだけで、本当の意見は言わず、あとで文句を言うような人はいつの時代にもいるのでしょう。道を改めるべきですね。同じて和せずな人に限って、陰で悪口を言ったり、今では口コミなどを使って憂さ晴らしをします。そんな憂さ晴らしの口コミに大衆は翻弄されていて、本当に混沌とした時代です。悪口も意見も直接本人に言うべきで、言えないのならネットにも書き込まない、本人がいないところで言わないことを徹底すべきです。そういった道徳を理解し、自身を律しては改めていくことで、幸福になる器が育っていくのではないでしょうか。

一般的に「我」は良くないもの、無くすべきものとして扱われることが多いですが、煩悩と同様に生きている以上なくすことは出来ません。安心してください、死んだらきっと消えますから。親鸞は、自身も含む人間のことを煩悩具足の凡夫と言い、煩悩は切っても切れないと説きました。我に関しても切っても切れません。どれだけ切っても同じ顔が現れる金太郎飴のように、切っても切っても出てきます(笑)。発想を逆転させましょうか。どうせ切っても切れないのなら、いっそのこともっと大きくして、「私が」から「皆が」「地球が」「宇宙が」と広げていけば良いんです。それが大我です。きっと「ワのこころ」も、「ガのこころ」を大きく広げていったところにあるのでしょう。

 

心ある、ない心

私たち日本人が、いつからか先祖代々大切にしている文化があります。時代を経るにつれ、おそらくは産業革命によって製品が大量生産されるようになってから薄れていったのではないかと思われますが、「もったいない」という文化です。百均でなんでも手に入り、Amazonでポチッとすれば低価格で翌日に物が届く。有り難みを感じくい時代だと言えますよね。新しい物が出ればすぐに買い替え、同じものを修理しながら使い続けていると貧乏くさいと思われてしまいます。僕も物を大切にしたいと考えつつも、もったいないことをしてしまう場面がありますから反省せねばなりません。何でも便利に買えてしまう時代だからこそ、自分で手作りしたり、手入れや修理したりすることを意識して生活したいものです。

「もったいない」に限らず、「かたじけない」という感謝を忘れない心。「とんでもない」と謙遜し、分を弁える心。「みっともない」と恥じる心。「はしたない」と無礼や無作法に厳しくなる心。「しかたがない」と執着から距離を置いて諦める心など、他にも「ない心」は挙げられます。謙遜し、譲りの道である龍の教訓に近いのは「とんでもない」の心でしょうか。誰もが身の丈を弁え、謙遜することを忘れずに過ごせるようになると良いですね。そうでないと、将来は「おぼつかない」ものになってしまいますよ。僕がそんなことを言うのはおこがましくて「滅相もない」ですが(笑)。

物が溢れかえった現代だからこそ、「あるある」ではなく「ないない」に着目し、慢心や不要なものは「ないない」して、しまってしまいましょう。

 

ひととなり

「和のこころ」という道徳によって、幸福に値する自分へと成長させ、教養を通して道草を楽しみ遊ぶ心のゆとりを持てればと願っています。そうして人としてのあり方が磨かれていくものだと思いますし、勉強会では何より自分自身が一番磨かれていると実感しています。

「ひととなり」って言葉がありますよね。どんな字を書くかご存知でしょうか?

スマホで変換したらでてきますよ(笑)。

答えは「為人」です。「人と為る」と訓読できるので、そこから「ひととなり」と言われるようになったそうです。意味は、「人としてのありかた」や「人たること」。 また、「その人が生まれながらに持つ背格好」を表す言葉としても使われていました。 そこから時代とともに「人が生まれもった人柄や性質、品性」など、人の内面的な特徴を表現する言葉へと変化していきました。

さあ、今年は十七条憲法を旨として、幸福を受け取るに値する状態へと自分を高め、文字通り真の人と為り、流れに乗ってまいりましょう。

 

暦の話

天地自然の流れに乗る目安として、暦についての話を少し。

そもそも暦は、農耕において計画的に食物を生産、収穫、貯蔵するために生活の知恵として生まれました。今からおよそ5000年前、古くは古代エジプト文明にまで遡ります。夏の初め、オリオン座の三つ星の左下に明るく輝くシリウスは太陽の直前に昇ります。それからまもなく雨季に入り、ナイル川氾濫の前兆とされるようになりました。そのシリウスを起点として夏至を定め、シリウス歴が誕生しました。

一方で、メソポタミア文明を築いたバビロニア人は、太陽の周期のみならず月の満ち欠けに注目し、一定の周期があることを発見したことから、太陰暦が始まります。

しかし、太陰暦は月をもとにするため1ヶ月は29.5日。1年で11日、3年で1ヶ月ほどのズレが生じてしまいます。そこで3年に1回、1年を13ヶ月にする「閏(うるう)」という調整のための1ヶ月が組み込まれるようになり、生まれたのが太陰太陽暦です。聖徳太子が活躍した飛鳥時代ごろ、日本にも中国から太陰太陽暦が伝来し、明治まではこの暦が使われていました。

日本で使われるようになった太陰太陽暦はさらに誤差の修正を繰り返し、1844年(天保15年)に改暦されました。これが「天保暦」であり、世界で最も正確な暦であったと言われています。機会式時計は北イタリアから南ドイツに至る地域で作られ、現在ではスイスやドイツが有名ですが、日本のセイコーも時計職人の技術が非常に高く、日露戦争では日本人の腕時計をロシア兵が悉く奪っていったという話を聞きました。日本は時計や精密機械もさることながら、暦に関しても世界随一の正確さを有していたのです。

画期的な閏によって誤差が調整された太陰太陽暦ではありましたが、地域によって閏の挿入タイミングがバラバラに広がってしまい、日程を決める際にトラブルが起こるようになります。そこで太陽暦を用いていたローマ帝国は、前述のシリウス歴をベースに4年に1度1日を加えて366日にするユリウス歴がつくられました。これが閏年です。こうして、強大な力を持っていたローマ帝国は、支配国でユリウス暦を広めていったのです。ちなみにユリウス歴というのは、古代ローマの政治家ユリウス・カエサルが紀元前46年に定めたことに由来しており、シェイクスピアの悲劇『ジュリアス・シーザー』は、ユリウス・カエサルの英語読みです。

ところが、ユリウス歴にも128年に1日のずれが生じることが発覚し、1582年にローマ教皇であったグレゴリウス13世がユリウス暦の改良を命じ、作らせたのが太陽暦です。日本ではグレゴリオ暦よりも優秀な天保暦を用いていたにも関わらず、明治維新を経て西欧列強と足並みを揃えんがために、グレゴリオ太陽暦が採用されることになりました。明治5年のことです。

その天保暦が、現在「旧暦」と呼ばれているものです。

そんな旧暦も確認できるカレンダーがこちら(笑)。

2020年からスケジュール帳を創りはじめ、2023年からは卓上カレンダーにしました。日付の下に旧暦の月日を入れて確認できるようにしてあります。日常ではグレゴリオ暦を使わないと、社会活動で日程が合わせられないので不便ですが、世界最高の暦であった天保暦を忘れずに身近に置いておくのも良いでしょ?

他にも多数の選日を盛り込んでいます。仏滅や大安で知られる六曜はもちろん、その日に割り当てられている十干十二支、二十四節気、満月と新月、上弦と下弦の月とその時刻、天赦日、一粒万倍日、不成就日、天一天井と天恩日の期間、八専とその間日、水星逆行の期間が一目で分かるようになっています。中国の陰陽五行、日本の文化、西洋占星術が合わさったカレンダーです。

利用される方向けに、六曜から順に解説しておくことにします。

「大安(たいあん)」
六曜の中で最も良い日とされ、何をしても上手くいき成功すると言われています。結婚式や入籍、地鎮祭、引越し、その他のお祝い事など節目の行事が行われることが多いです。また、何をやっても物事がうまく運ぶと言われることから、事始め=使い始めにもよい吉日とされています。

「先勝(せんしょう)」
先んずれば即ち勝つ、という意味を持ち、物事を早く済ませるのがよい日とされています。時間帯によって吉凶が変わり、午前中が吉、午後は凶とされます。

「友引(ともびき)」
語源は共引で、共に引き分けになる日。現在では、友を幸せに引き込むとしてお祝い事の日取りに適しているとされています。反対に、友人をあの世に引き寄せるという迷信から、葬式や法事は避けるべき日と認識されています。

「先負(せんぶ)」
先んずれば即ち負ける、とされる日。勝負事や急用を避け、控えめにするのが良いとされています。時間帯は、午前中が凶で午後は小吉と言われます。

「仏滅(ぶつめつ)」
もともとは物滅と書き、物事が終わるという意味があり、六曜の中では最も縁起の悪い日とされ、一般的には、婚礼を含むお祝い事を避けるべき日と認識されています。しかし、物が一旦滅び、新たな物事が始まるという考えもあり、断捨離や不要な縁を終わらせるには良い日とされ、悪縁を切り、新たにスタートしたい時には適しています。

「赤口(しゃっこう)」
全てが滅びる凶日という意味があり、仏滅の次に縁起が悪い日とされています。そのため、お祝い事には向かないと言われています。また、「赤」という字が火や血を連想させるため、火事や怪我には注意しましょう。時間帯は、正午だけは吉とされます。

「天赦日(てんしゃにち)」
すべての神様が天に昇り、天が万物の罪を赦(ゆる)す日とされ、この日に始めたことは成功すると言われています。財布の購入や使い始め、結婚にまつわることなど、新しい事をスタートするのに、これ以上ない最良の日とされています。開店、開業、財布の新調、使い始め、結婚、入籍、結納など、何をするにも良い日。

「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」
たった一粒の籾(もみ)が成長し、何万倍にも実をつけて立派な稲穂になる、という意味があります。そのことから、一粒万倍日は、新しく物事を始めるのに最良の日とされています。また、一粒万倍日と他の吉日が重なる日は、その吉日の効果が倍増するともいわれており、特に「天赦日」と重なる日は最高の開運日となります。

ちなみに、一粒万倍日と天赦日は下記の通りに定められています。

一粒万倍日
1月(立春〜雨水) :丑/午
2月(啓蟄〜春分) :寅/酉
3月(清明〜穀雨) :卯/子
4月(立夏〜小満) :辰/卯
5月(芒種〜夏至) :巳/午
6月(小暑〜大暑) :午/酉
7月(立秋〜処暑) :未/子
8月(白露〜秋分) :申/卯
9月(寒露〜霜降) :酉/午
10月(立冬〜小雪):戌/酉
11月(大雪〜冬至):亥/子
12月(小寒〜大寒):子/卯

二十四節気をもとに、各月に定められた十二支の日が一粒万倍日として割り当てられます。例えば、実際の月ではなく、立春から雨水が終わるまでを1月とし、1月の場合は「丑と午」と決まっていますので、十干は気にせず立春から雨水が終わるまでの丑と午の日が一粒万倍日となります。一粒万倍日は中国にはなく、日本独自の考え方です。天赦日は基本的に年に4回、規定された十干十二支となる日が該当します。

天赦日
1月(立春〜雨水) :戊寅(つちのえとら)
4月(立夏〜小満) :甲午(きのえうま)
7月(立秋〜処暑) :戊申(つちのえさる)
10月(立冬〜小雪):甲子(きのえね)

「天一天上(てんいちてんじょう)」
癸巳(みずのとみ)〜戊申(つちのえさる)の16日間。民間暦で、陰陽道で、天地を周回して人の吉凶禍福をつかさどる天一神(てんいちじん)が天に上っているとされる期間。ちなみに天一神は中神(なかがみ)とも呼ばれます。この間は天一神の祟りがなく、どこへ出かけるにも吉とされ、縁起をかつぐ相場師はこの日を相場が上騰するとして用いました。ただし、この16日間は、天一神が天に上る代わりに、天一の火神である日遊神(にちゆうしん)が地に降り、人家にとどまって祟りをするため、この間中は古来より掃除をするのに吉とされています。

「天恩日(てんおんにち)」
甲子・乙丑・丙寅・丁卯・戊辰
己卯・庚辰・辛巳・壬午・癸未
己酉・庚戌・辛亥・壬子・癸丑
以上の計15日。天の恩恵をすべての人が享受できる日と伝えられており、万事に対して縁起が良いと言われています。天恩日は常に5日間連続して訪れるため、吉日が続く特別な期間と捉えられ、この日には金運が上がるとも言われます。天から恩沢が下り、任官・婚礼などの慶事を行なうのに大吉とされています。ただし、葬儀のような凶事には向きません。

「不成就日」
旧暦
1月/7月 :3日、11日、19日、27日
2月/8月 :2日、10日、18日、26日
3月/9月 :1日、9日、17日、25日
4月/10月:4日、12日、20日、28日
5月/11月:5日、13日、21日、29日
6月/12月:6日、14日、22日、30日

以上のように日付固定で定められています。何事も成就しない日とされている選日のひとつ。約1週間に1度の頻度で訪れる身近な凶日として知られています。不成就日は、天赦日や一粒万倍日などの吉日と異なり、物事を行うのに縁起の悪い日とされています。作成しているカレンダーでは、天赦日や一粒万倍日と重なる場合、優先される不成就日のみを記載しています。

「八専」
壬子(みずのえね)〜癸亥(みずのとい)の12日間のうち、丑・辰・午・戌を間日(まび)として除くと残りは8日になるので八専と呼ばれます。陰陽五行説によると五行の同気が続き、物事が片寄る凶日とされ、雨の日が多いとも言われています。もともとは軍事上の忌日でしたが、針灸や、柱を立てることも不吉とされるようになりました。法事や婚礼にも厄日とされています。

 

雨を喜ぶ詩

最後に、三国志のうち魏国の覇王曹操の五男であり、詩聖と謳われた文才の持ち主である曹植の詩で締めくくりたいと思います。

喜雨/雨を喜ぶ

天覆何弥広
/天の覆うこと 何ぞ弥広(びこう)なるや
苞育此群生
/此の群生を苞育(ほういく)す
棄之必憔悴
/之を棄つれば必ず憔悴(しょうすい)し
恵之則滋栄
/之を恵めば則ち滋栄(じえい)す
慶雲従北来
/慶雲 北従(よ)り来たり
鬱述西南征
/鬱述(うつじゅつ)として西南に征(ゆ)く
時雨終夜降
/時雨 中夜に降り
長雷周我廷
/長雷 我が庭を周(めぐ)る
嘉種盈膏壌
/嘉種(かしゅ) 膏壌(こうじょう)に盈(み)ち
登秋必有成
/登秋(とうしゅう) 必ず成る有らん

『芸文類聚』巻二

万物を覆う天は何と広大なことか、生あるもの全てを育成する。
天が見放せば万物は萎れるし、慈しめば生い茂る。
めでたい雲が北からやってきて、もくもくと西南へ向かう。
恵の雨が夜中に降りだし、響きわたる雷がわが庭をめぐる。
豊かな作物が肥えた土地にあふれ、実りの秋はきっと豊作となろう。

もともとは雨乞いの儀式から生まれたのだと考えられますが、後の時代にも雨を喜ぶ詩は多数生まれ、これは早い例です。文武両道であった曹操に対し、武の道はイマイチであった曹植。曹操を超える文才を花開かせ、躍動していく生き様はまさに昇り龍の如し。

雷雨は龍の働きであり、天の意志。雨を憂えず、雷を畏れず、導かれるまま、その働きに身を委ね、向かい風を喜び、迫る激流を肥やしに、波を乗りこなして、この辰年を謳歌いたしましょう。

そうすれば、秋にはきっと豊作となりますから。