目次
1.時とは
「時」を国語辞典(『角川必携国語辞典』角川書店)で引くと、「過去・現在・未来の連続的な流れ」と出てきます。古語辞典(『古語辞典』旺文社)では「月日の移り行く間」とあり、ひとつの「流れ」であることが分かります。
白川静の『字訓』(平凡社)では、「とき」という字には「時」だけでなく「期」「季」も併せて記されており、「満月を中心として晦朔する、その期間をいう」とあります。洋の東西を問わず、太陽や月の運行を基準として生活の指標とされてきました。ちなみに日時計の始まりは、紀元前3,000〜4,000年頃の古代エジプトにまで遡ります。
考えてみれば、「時期」という単語には「日」と「月」どちらの漢字も入っていて、まさに月日の流れを表していると言えます。『字統』によれば、「日」は太陽の形、「寺」には持続の意味があり、「其」は箕(み=ふるい)のことを表しています。ゆえに「時期」とは、日が持続していくこと、月によってふるいにかけること、そんな意味が込められているのでしょうか。
時間について、アインシュタインの相対性理論で裏付けされた通り絶対的な軸ではなく、主体の感覚によって変化する尺度であることは分かっています。やりたくないことをしていると時間の経過は遅く感じられるし、好きな人と一緒に過ごす時間はあっという間に終わってしまいますよね。
「日本心理学会」によると、時間が長く感じられたり短く感じられたりするのは、「意識」の有無によるものだと説明されています。つまり、時間を意識していると長く感じられ、時間に意識が向いていないと短く感じるということ。「時間を忘れて楽しむ」という言葉の通りですね。さらに代謝が高い状態でも時間は長く感じられるのだとか。運動中など、代謝が高まっていると時間は長く感じられるそうです。また、身の危険を感じた時、ほんの一瞬のうちにスローモーションで見えたり、走馬灯の如く人生を思い出したりすることは珍しくありません。これは危険度が高い時に、脳の処理能力が加速することが理由であると考えられています。
自分の経験を振り返ると、今までに最も時間が長く感じたのは警備員のアルバイトをしていた頃。とにかく一日中ほとんどじっとしていて動かないため、何度も何度も時計に目をやって、そのたびに「まだ10分しか経ってないのか……」とうんざりしていました。人生で一番よく時計を見た時期です(笑)。忙しい仕事が嫌になって、楽な仕事をと思って始めたのですが、忙しくて体力的にもしんどい仕事の方がよっぽど楽だと感じさせられました。
スローモーションの経験もあります。詳細は省きますが、トラックに跳ねられて5、6メートル吹っ飛んだことがありまして、まさにその刹那はスローモーションで様々なことを思い出し、どう着地するとかほんの一瞬のうちに1、2分ぐらいの考える時間があったように思えました。幸いにも大きな怪我はなかったのですが、翌日は全身打撲で体が動きませんでした(笑)。
現代と昔を比べてみると、時間に意識を向ける時に今なら時計やスマホを見ますが、もちろん昔は時計などありません。太陽を見て時を感じたり、鐘の音によって時刻を知るようになったりしながら時代を経て、ゼンマイ式の機械時計が日本で作られるようになったのは江戸時代の後半。一般人に普及したのはもっと後のことでしょう。
縄文人は平均寿命が30歳程度だったと言われていますが、現代人の平均寿命は男女合わせても80歳を超えています。今は長生きになって幸せだという考え方もありますが、果たしてそうでしょうか。
文明が発展し、産業革命が起こった頃には、人の仕事が機械によって乗っ取られるのではないかと危惧されていたようですが、そんなことなく今も人は忙しく毎日働いています。今はAIの時代に突入し、これからはAIによって人の仕事が奪われていくと世間はざわついています。今後なくなる職種ランキングなどもありますね。業種が変化していくことは時の流れの必然ですが、これからさらに文明が発展したとして人は楽になるのでしょうか。今の社会のあり方が変わらない限り、いつまでも忙しく働かざるを得ない気がしています。本来、マルクスが提唱していたのは、発展とともに人の働く時間は減り、楽になっていく社会であったはずです。
時間経過の感じ方は、幸福の尺度とは結びつかないかもしれませんが、関連はしています。
現代は文字通り時間に追われながら、仕事に趣味に家族サービスにと、たまの休みも返上して忙しない人生を送っている人が多いのではないでしょうか。月に一回、いや年に一度でも、何もせずに空の雲を見上げてボーッと一日を過ごすような人は稀ですよね。
一方で古代の縄文人なんかは、生活のために狩猟採集をしたり、田畑を耕したりしながら(最近になって稲作は渡来人がやってくる前から行われていたことがわかってきました)、生活にはそれなりにゆとりがあって、大きな争いもない。余暇は土器やアクセサリー作り、壁画、刺青など、創作活動に勤しんでいたわけです。そして常に感謝を忘れず、祈りを形にしてみんなで祭祀を行う。このようなゆっくりと流れていたであろう時空を思い浮かべると、寿命が30年であろうと、もしかすると今の80年よりも長く感じていたのではないか、そのうえ人生の密度も濃かったのではないかと考えてしまいます。
先日、アメリカ出身の僧侶で、瞑想やスピリチュアルケアの研究をされている博士でもある「慈心(じしん)」さんをお招きして瞑想会を開催しました。慈悲の瞑想、リラックスの瞑想指導、そして「慈悲の種類と発展」というテーマで30分ほど講演いただきました。経済は発展していても心が満たされない現代、これからもっともっと必要とされるテーマだと思います。今後も瞑想会の開催や、リトリートツアーなども企画していきますので、ご興味ある方はぜひまたお越しください。
瞑想に関する話を聞いていて印象的だったのは「心のトレーニング」という表現でした。じっとできない、リラックスできない人が多いのは、心の鍛錬が足りないからだと合点がいきました。
そして、改めて瞑想とは「意識を向ける」こと。普段、無意識になっている事柄に注意を向けて、丁寧に観察をしていくことが瞑想であって、幅広く応用ができます。
例えば、食事をする際にその味を丁寧に、舌がどう感じているか、噛んだ時の硬さはどうかなど、集中していくと様々な効果が得られるでしょう。他にも、歩きながら足の裏を感じる歩行禅のようなことも面白いので、ぜひ日常の中でお試しください。
このような瞑想的生活から得られる何より大きな効果は、「幸福感」であると思っています。そのあたりはまた慈心さんとじっくりお話ししたいところですが、「小さな幸せ」に気づく力は間違いなく鍛えられます。大きな喜びを得ないと幸せを感じられないような心の運動不足状態か、小さな喜びであろうと大きな幸せを感じられるたくましい心の状態、どちらが良いかは明白ですよね。
2.時と豊かさ
4月は旅先での経験によって時空がゆがんでいるような錯覚になって、国内時差ボケをしているような気分でした。
というのも、三重にある神島で大正昭和の時空に触れ、京都では4月後半には桜は散っていましたが、長野の山奥では満開の場所がいくつもあって過去に戻って桜を見られたような感覚になり、さらに縄文の遺跡を訪れて古代の文化に触れ、タイムマシンに乗っていた気分でした。
どの場所へ訪れても一貫していたのは信仰です。自然の恩恵にあずかる豊穣への感謝の念は、今なお連綿と受け継がれていることを肌で感じました。はるか昔、個人的な願い事なんてする風習なんてあったのでしょうか。少なくとも縄文時代には我欲はあまりなかったような気がします。
4月の前半、伊勢神宮にある神宮会館に泊まって早朝参拝に参加し、そのまま鳥羽のマリンターミナルから「神島」という場所へ行きました。三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台として知られており、映画にもなったのでロケ地としても有名です。そこには大正か昭和のような昔の時空がそのまま残っていました。もともと主な産業は蛸壺漁。今も漁業が中心で、島の港には仕事終わりのおじさんたちが缶ビールや缶チューハイを片手に団欒していて、そのままヘルメットも付けずにバイクで帰っていきます(笑)。3度か4度バイクとすれ違ったのですが、ヘルメットをかぶっている人は一人もいませんでした。交番もなく、完全な自治区となっているのですが、小学校もありますし、それなりの数の人が暮らしています。飲食店は、小さな旅館が昼食を出している程度で、食事場所は2軒しかありません。島全体はゆっくり歩いて2時間ほどで一周できる広さ。町の中心には八代(やつしろ)神社という神社があり、豊漁の感謝をそこに供える習わしで、小さな町にはそぐわない大金が奉納されていて驚きました。タイムスリップした気分で、のんびりとした時間が心地よく、また行きたい場所です。
後半には長野の富士見町(ふじみまち)で、山小屋を立ててベーコン作りをされているご夫婦を訪ねました。宿泊や食事をお世話になっただけでなく、あちこち案内していただきました。
当時さかんであった紡績工場で働く人のための保養施設として建てられた「片倉館」。こちらにある「千人風呂」という施設が有名です。今も実際に入ることができるので、そこでお風呂に入りました。レトロな西洋風建築の建物の中に大衆浴場があって、今も利用できることには驚きました。風呂の底には砂利がしってあって気持ちよかったのですが、本当に千人入るのは厳しそうです(笑)。
そして、「栃窪岩陰遺跡」という縄文時代に住居として使われていた洞窟を見つけて探索にいきました。ここは長野にお住まいのご夫婦もご存知なかったようで、googleマップで見つけました。珍しい山野草もたくさん生えていて、自然豊かな美しい場所でした。自分たちの先祖はこの穴に入って暮らしていたのかと思いを馳せました。
長野には縄文の遺跡が多く、見どころがたくさんあります。まず案内してもらったのは「茅野市尖石縄文考古館」。有名な土偶、「仮面の女神」「縄文のヴィーナス」などが展示されていました。気になったのは、縄文時代の由来となっている縄目模様の縄文土器はほとんどなく、火焔土器や動物などを模って細工を施した土器ばかりであったこと。芸術的な創作活動がいかに盛んに行われていたか、またその精巧さにも驚かされるばかりです。
茅野市尖石縄文考古館
もうひとつ案内してもらったのは、「黒耀石体験ミュージアム」別名「星くそ館」。黒耀石の採掘が行われていた遺跡が多数ある地域で、「星くそ」という愛称は「星くず」の意味で、ガラス質の黒耀石がキラキラと輝く星のかけらのように見えることに由来しています。黒耀石の「耀」の字は、一般的には「曜」が用いられますが、この地域では「かがやく」という意味の「耀」の方を好んで使われるそうです。また、火山の研究をされている人たちの間では「燿」を使うのだとか。こういった漢字へのこだわりは地域に対する愛を感じますね。
星くそ館
文明の発展に伴って社会は機械化し、大量生産・大量消費の時代を経て現代に至っています。ミニマリストという言葉が出始めて、物を持たない豊かさに気づいた人たちは増えてきましたが、まだまだ一般的ではありません。物が多いことが貧しいのではなくて、物が多いゆえに感謝から遠ざかり、小さなことで喜びを味わえないことが貧しいのだと思います。エンターテイメントやレジャー施設など、お金を払わないと楽しめない遊べないというのは心の貧しさ。 便利な物が何もない不便な時代の方が豊かであったかもしれません。かといって、昔に戻って何でもかんでも不便で野生的な暮らしが理想的かというとそうでもありません。「人間本来の喜びは一体何なのか」ということを考え直す必要があるということです。
「片倉館」や「白樺湖」のあたりを見学して感じたのは、派手に勢いよく繁栄したものは一気に崩れてしまう可能性も含んでいるということ。日本では特にリゾート開発されていたような場所では、一昔前はとても賑わっていたけど、人が訪れなくなって寂れ、ボロボロになってしまっている場所はたくさんあります。
発展を目指して機械化を進め、際限なく利益を追い求め続けることは、不幸へまっしぐらの線路を走っているように見えてなりません。右肩上がりが良しとされていますが、右肩上がりが続くわけがない。不自然ですから。地道な手仕事で伝統を守っていくような仕事の仕方が、結局長続きしていくのだと時間が証明してくれると思っています。
「茅野市尖石縄文考古館」で初めて知ったのは、縄文人の祈りとして物を壊す文化。下記に展示の文章を引用します。
竪坑の底付近から、わざと一部を壊した土器、漆塗りの容器の破片を再加工したものなどが出土しました。無事に採掘を終え、黒耀石を獲得できたことに感謝して捧げられたのでしょうか。縄文人の祈りの姿がここにうかがえます。
茅野市尖石縄文考古館
土地や食べ物は神からの借り物であり、自分たちが作った物を壊すことで祈りとする文化は現代人にとって理解し難いですが、人の手によって壊すことは素材に分解して自然へと返す行為であったのかもしれません。
土地や食べ物、作った物を、私有物化していく弥生時代以降の文化は競争を生み、意図しない破壊をもたらしたことを考えると、作り手によって自ら壊すことで神へ祈り、所有しないからこそ豊かであったようにも感じれます。最近流行りのシェアリングサービスなどはそれを見越しているのかもしれないし、次代を生きるヒントが詰まっていそうです。
便利なものを活用しながらも手作りで豊かな暮らしだと感じさせられたのは、泊めていただいたベーコン作りをされているご夫婦。塩だけで肉の旨みを引き出す製法で、手が込んでいるのに安く売られていて、何度もテレビにも取り上げられていて大人気。仕事を減らすために岐阜から長野へ移住したのだそう。仕事を増やすために都会へ行こうとする人には想像できない感覚でしょう。
朝を迎えたとき、鳥の鳴き声が心地よいアラームになって目が覚めました。奥様が教えてくれたのですが、ガビチョウという鳥が近くに住んでいて、餌を置いているとすぐ近くまでやってくるのだとか。ガビチョウは「画眉鳥」と書き、目の周りから白い筋が眉を画いたように伸びていることが由来なのだそう。鳴き声をスマホで鳴らすと、その声に張り合うように声を出し、近くへやってきたので近くで良い写真が撮れました。
このガビチョウ、昔は「鳴き比べ」といって鳴き声を競わせるために好んで飼われていたのですが、鳴き声競争がはじまるといつまでも鳴き続けてうるさくなってしまうため、次第に倦厭されていったようです。人間の勝手に振り回されるガビチョウの心中、お察しします(笑)。
3.利他と時間
前述の瞑想会では「慈悲」について考えさせられましたが、「利他」の行いに通ずるものがあります。利他とは自分よりも他者の利益を優先すること。
利他の行為とは裏腹に「おせっかい」「ありがた迷惑」という言葉があります。面倒見が良く、ありがたい行為が「余計なお世話」となってしまうのには一体どんな理由が考えられるでしょうか。
その答えは、「受け手によって変わる」ということです。
いくら自分が相手のためにと思って行動しても相手が迷惑がっていたなら、それは利他にはなりません。ただのおせっかいです。
ゲルマン系の言語では「Gift」という単語に「贈り物」と「毒物」の二つの意味があります。現代のドイツ語では、辞書(『クラウン独和辞典』三省堂)にも毒物、毒薬、有害物質と記載されており、贈り物という意味ではあまり使われません。古典ギリシャ語の「dósis」が「与えること、贈り物」のほか「薬の用量」という意味を持っていたことから、Giftに「毒」という意味も生じたという経緯があります。
「利他」かどうかは相手によって決まりますが、自分が行為するときに相手のためを思ってする場合と、自分の利益のために利他の体裁をとる場合とが考えられます。
そして、その行為が最初は利他的になされたことであったとしても、時間の経過とともに利己的になってしまう場合もあり、その逆も然り。
例えば、バスや電車で席を譲る行為は基本的には利他となるでしょう。ただし、自分が良く見られたいから、あるいは周りの視線が気になって席を譲るのであれば、それは利己的な行為となります。反対に利己的に席を譲ったとしても、相手の足腰が悪くて助かったと感謝されたなら、そう受け取られた瞬間に「利他」となります。
反対に、利他的にお年寄りへ席を譲ろうとしたが、思いのほか元気で「年寄り扱いするな」と言って席に座ってくれなかった。その時、「なぜ座ってくれないんだ。一度立った手前、座ってくれないと自分もバツが悪い」などと考えて、強引に座らせようと考える。そうなってくると、利他に始まった行為なのに、相手をコントロールして自分が気持ち良くなりたい利己的な感情へと変わってしまっています。
このように、相手の受け取り方によって利他なのか利己なのかが決まるわけです。未来の「ある瞬間」が訪れるまで、行為するタイミングでは利己なのか利他なのかは決定されていないということ。そして、決定の瞬間までは利他と利己、どちらの可能性もが内包されていることになります。
このようなどちらの可能性も含んだ状態は、量子力学の思考実験における「シュレディンガーの猫」を彷彿とさせます。これは、物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが頭の中で行った実験で、一定の確率で毒ガスが発生する箱の中に猫を入れた状態にし、一定時間経過後にその箱を開ける瞬間までは猫が「生きている可能性」と「死んでいる可能性」が同時に存在しており、箱を開けた瞬間にそのどちらかが決定されるというものです。
もう一つ有名な、光の「波」と「粒」の性質を示す「二重スリット実験」では、観測者の意識があると粒子状になり、意識を向けないでいると波動の状態であることを明らかにしました。
これは、瞑想で意識を向けるのと無意識なままであるのとで変化が起こる現象にも通じますね。
では結局、どう行動すれば良いのか。利己的に行おうが、利他的に行おうが、結局どう受け取られるか分からないのであれば、利己的になった方が得じゃないのか? なんて考えるのは野暮で「本願ぼこり」と同じです。
(詳しくは前回の記事参照:和の情 テーマ「詩」)
本願ぼこりとは簡単に言えば、阿弥陀仏が悪人であろうと救ってくれるのだから、悪いことをしたって構わないじゃないかという発想です。
そもそも、自分のためか他者のためかという分別のある世界から、目指すべきは無分別の世界。自分の体は物理的には繋がっているため分かりやすいですが、他者とは物理的には離れているからピンとこないかもしれません。しかし、「私」や「自分」とは何かを突き詰めていくと、そこには何もありません。「私」とは幻想であって、自他の区別は人間が作り出した観念であって、本来は境界がないのです。自他の区別ある世界しか捉えられていないことを分別智と言い、区別ない世界が真の世界であると自覚することを無分別智と言います。
例えば、誰も自分の指先をあえて痛めつけようとはしないし、怪我をしたら手当てするのは当然ですよね。自分の右手人差し指と他人を置き換えても同じ道理で、わざわざ指から奪おうとしたり、傷つけたりするような行為をしなくなるのが無分別の世界。まさに縄文人は無分別智の境地を生きており、そこへ大陸から分別智が流れ込んできたのです。
心を鍛えて、曇ったフィルターをピカピカに磨かなければなりません。禊ぎや修行はそのための行為だと思っています。
4.仕事と縁
前回のテーマにも通じますが、久々に会った友人との会話で「縁」について話していました。良縁とか悪縁というのはその人の捉え方次第であって、本来は縁に良いも悪いもないと考えています。そこにある縁をただ受け入れることが、本来的な生き方だと確信しているからです。
ですから、何もかも無理やりポジティブに捉えて良縁とは思いません。悪縁とも思いません。ただ縁なのです。受け入れて進んでいくのが歩むべき「道」です。
縁を生きる、縁に生かされる、縁に委ねるということは、自分という自我に選択権はなく、「大いなる働き」に突き動かされて行動するわけなので、ある意味ではワンマンな神様社長が経営する超ブラック企業に勤めている社畜のようなもの(笑)。でもそれが一番の幸福だと分かっているから、あとは転職したりリストラされないように死ぬまで働き続けるのみ。一部上場企業に勤めたことはないけれど、宇宙上場企業の社員です(笑)。
一般社会の迷い多き世界では資本主義経済のおかげで、お金に働かせるとか、利子とか為替差益、投資や投機で資産を増やしてfireすることに憧れて、「選択肢は多い方が良い」だからお金がいる、といった考えが当たり前になっています。
本当にそうでしょうか? 本当のところなんて知りませんが、選択肢は多い方が良いってのも正解ではないと思います。先ほど述べた超ブラック企業に勤めている人にとって、選択肢なんてそもそもないですから。なんでもいい、どっちでもいい、どれでもいいって感覚になるわけです。それが縁を受け入れるということ。だから選択肢なんて特に必要ないし、進むべき道に悩む必要もない。ただ、レストランで注文するメニューはなかなか決められませんが(笑)。
縁と運とは深い関わりがあって、実は運にも良い悪いは本当はなくて、目の前のことをいかに受け入れられるかという指標が、そのまま運が良いかどうかになると考えられます。
起業ブームの昨今では(自分もそれにのっかってて言うのもなんですが)、こうすればうまくいくといった成功法則や〇〇メソッドみたいなのが横行しています。もちろん技術的なことでは必要なことも多いですが、人生においては違います。こうすればうまくいくという道筋は、その人がたまたまその道で当たっただけで(当たったというのも何かしら現世利益的なものがあったという意味で、本来の道とは別物の意味で)、結果論に過ぎません。ですから、同じようにやったとしても、環境や時間、性格や個性ひっくるめて、一つとて同じものは存在しない自然界で完全な再現はありえない。だから、迷って誰かの真似をしようとするんじゃなくて、心の鍛錬をして無意識界から流れていくる声に耳を傾けるべきなのです。
誰かがうまくいった偶然の産物を求める必要は微塵もない。「運も実力のうち」という言葉がありますが、正しくは「実力が運のうち」だと思います。迷いの世界の尺度で何かがうまくいったからといって傲慢にならず、手に入れたものを壊してしまって自然に返し、感謝の祈りを捧げるくらいになりたいものです。
人生では、多くの時間を仕事に費やすと思いますが、給料をもらえる仕事だけが仕事なのではなくて、何か自分の外側へ向けてする行動はみんな仕事であると考えています。家事や育児にしても、ボランティアにしてもみんな仕事でしょう?
仕事については民藝の価値観が参考になります。民藝運動の第一人者である柳宗悦は「用の美」という言葉を生みました。用の美とは、実用性の中にある美しさという意味で、物のあり方としての美しさだけでなく、用いることによって育まれる美意識。
知・情・意という人間の心的要素は、岡潔によれば、西洋と東洋、そして日本人とで明らかに違っています。同じ知・情・意であっても、西洋の人はそれぞれ知識、感情、競争心が働いている。他方、東洋人は智慧、情緒、向上心が中心となる。さらに日本人は情緒を中心に据え、他者の喜びを喜び、悲しみを悲しむ懐かしさ「真情(まごころ)」の世界に生きていると定義しました。
経済発展は明らかに西洋的で、最近では中国も西洋的になりつつあるのかもしれません。いずれにせよ、東洋的な知・情・意(智慧、情緒、向上心)から、美の世界、そして善、真へと続く人間の究極へ向かっていく道筋が見えてきます。
仕事をしていると「仕事の方からやってくる」といった感覚を持っている人がいます。仕事の型が体に染み付いて、無意識でもこなせるようになるまで洗練されてくると、まるで意思を持つかのように仕事の方からやってきて、新しいものが生み出されていくと言います。守破離の原理と同じようなものでしょう。だから、「仕事をする」のではなく、「仕事が仕事している」状態が究極の境地なのです。なかなか難しいですが、目指すべきはそこですね。
ヒンディー語では「風邪をひく」ではなく「風邪がやってくる」という表現をするそうです。同じような感覚をインドの人々は持っているのかもしれません。自分がやる、こちらから行くのではなく、「向こう側からやってくる」という発想は仏教思想にも影響を及ぼしています。仏の最上位である如来は「真如から来たるもの」という意味。中国語では「如来如去」と表現されることもあり、「往生」も行くと来るの意味があることから、真如と往来する感覚は古来より目指されてきた悟りの境地であり、日本には宗教としてではなく文化としてもともと素地があったのでしょう。
西洋的な知・情・意(知識、感情、競争心)は言わば意識界。東洋的な知・情・意(智慧、情緒、向上心)は無意識界で、その境地からはじめて真如との交通が始まります。如来の働きは、究極の仕事感覚でもあるということです。
真如との交通によって、究極の美が必然的に生まれ、善が生まれ、真が生まれる。否、真善美の方からやってくる。これが人間本来の生きる道。揺るがぬ幸福も、比べようのない楽しみも、何よりもっとも面白みある一本道なのです。やはり選択肢を増やす必要なんてなく、その一本道から逸れないように努力することだけが、人間に求められているに違いありません。
5.ホトトギス
最後に、有名な三種の句を見ていきましょう。次の句は誰が読んだかご存知ですよね?
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」
これらは、信長、秀吉、家康それぞれの性格を表していると言われています。しかし、文字通り鳥をどうにかすることを歌っているだけでなく、ホトトギスは「時鳥」と書くことから、時勢をどう読むかを言い表しているとも考えられます。
実際にホトトギスは夏の到来をつげる鳥として、鳴き声が田植えを始める合図として親しまれていました。
「時」はつまり、機会やタイミングをどう捉えるべきなのかを教えていて、時勢を気にせず向かっていく信長は天下には届かず、タイミングを自分の都合に合わせようとした秀吉は天下を統一し、機会を待った家康は戦国の世を終わらせて260年続く江戸時代の礎を築きました。こういった教訓なのかもしれませんね。
ちなみにホトトギスの由来は、「キョッキョ、キョキョキョ」という鳴き声から、「ホットホトギ」という擬音語にして、鳥を表す接尾詞の「ス」を付けてホトトギスと呼ぶようになりました。
個人的には別な解釈として、「ホト」は「程(ほど)」すなわち「時」を表し、「トキ」は「解き」に通じており、煩悩が「ほどける」から「仏」と呼ぶようになった説(仏の由来には諸説あり)にも重なることから、時をほどく鳥、暦のような役割をする鳥だと考えるとロマンがありませんか。
家康の教訓である「時勢を待つ」ということは、自分のできることは精一杯やりきってその結果は天に委ねるという意味の諺「人事を尽くして天命を待つ」にも通じます。このような全力を出すことと諦めること、相反する二つの事柄を同時に実行する行為は日本人特有の文化にもあります。阿弥陀仏に救われると分かっていても懸命に生きる、「本願ぼこり」をしないことにも同じ感覚が含まれていますし、九鬼周造の『いきの構造』で定義された「いき」は、「意気地」「諦め」「媚態」の三要素から成り立っています。
「美からやってくる」感覚は、媚態がそれでしょう。
縄文の祈り、他力本願、用の美、「いき」といった日本的な価値観は、人間がもっとも人間らしく生きる術であり、私たちの祖先が歩んできました。その轍を無視して唯物的に舗装された道路へ流されてしまわないように努力せねばなりません。
ということで、最後はホトトギスの句をさらに縁に委ねるための教訓として、追加の一句。